CosmosLabタイトル


文/佐藤朋子
旅は道連れ・第二話
「時刻表を見せてくれますか?」
 早口の英語で話し掛けられ、顔を上げた。
 私が座っている場所から右斜めにあたる四人掛けのボックス席から身をのりだして、一人の青年がこちらを見ている。
「OK」
 と、手に持っていた時刻表を渡そうとすると、彼はサンキューと言いながら、自分の荷物を持って素早く私の前の座席に移って来た。
 南仏のカンヌから、ニースに向かう列車の中だった。
 私はその時、1ヶ月に渡るフランス旅行の最中で、映画祭が終わったばかりのカンヌの街に滞在していたのだ。カンヌを起点に、ルノワールゆかりのカーニュ=シュル=メール、セザンヌゆかりのエクス=アン=プロヴァンス、マティスが装飾を手がけたロザリオ礼拝堂があるヴァンスなどを一人で訪ねてまわる旅の途中だった。
 このときは、ニースにあるマティス美術館とシャガール美術館を見ようと思い、時刻表とにらめっこしながら列車に乗っていたのだ。カンヌに戻る列車の時間を間違えたら大変だ。フランス初日のエアチケットのような勘違い(「旅は道連れ」第一話参照)がないよう、私はこと乗り物に関しては充分に気を遣っていたのだ。万が一、時間を読み間違えたりして列車に乗り遅れたら、ドジに加えて方向音痴という二重苦を背負って事態を乗り切らなければならなくなってしまう。
 時刻表をざっと見て彼は、すぐにそれを私に返した。
 しかし、自分がいた席には戻ろうとしない。
 時刻表が目当てじゃないわけね、と私もようやく気付いたのである。
 要するにナンパである。
 彼は、こちらが訊きもしないのに、自分のことをぺらぺらと喋り出した。
 ローマ出身のイタリア人、今は南イタリアで貿易関係の仕事をしている、日本とも仕事の関係がある、これからニースにいる友達に会いに行く……etc.
 彼があまりにも朗らかで感じが良く、知的な会話もできるからか、私も警戒心をといて彼とおしゃべりすることにした。一人旅も長くなると、話し相手に飢えてくるものだ。
 それにしても、さすがイタリアの男である。
 さしてハンサムでもなかったけれど、とにかく会話のリードが上手い。しかも身のこなしや態度がスマートなのだ。適度なユーモアもあって、自然に笑わせてくれる。気が付くと、ニースに着くまでの短い時間のうちに、彼にニースを案内されることになっていたのである。
 私はニースを観光しようとは思っていなかったので、美術館以外にはなんのインフォメーションも持ち合わせていなかった。ニースはきっと観光客だらけ、しかも日本人だらけだろうとふんでいて、あまり期待していなかったのだ。
 彼はまず、ニースの街全体を一望できる場所へと私を案内してくれた。そこは、とても素晴らしかった。きっと一人なら来られなかったろう。あるいは道に迷ってクタクタになっているところだ。
 それからランチを二人で食べた。
 列車の中で初めて会ってから1時間くらいしか経っていないかと思うが、彼はもう何故か恋人気分でいるらしい。
「ほら、キミがあまりキレイだから、店中の人がキミを見ているよ」
 なんて歯の浮くようなセリフをさらっと言ってのけるのだから、やっぱりイタリア男だ。もちろん、レストランの客の一人としてこちらを見ているわけがない。
「好きだ」が、「愛してる」に変わるまでにもう1時間。
「愛してる」から「僕たちが結婚したら〜」になるまでにさらに1時間。
 子供は何人欲しいだの、日本に住むのもいいだの、としゃべり続け、挙げ句の果てには、彼は<tomokoの歌>を即興で創って、カフェの中でも道を歩きながらでも歌い続けたのだ。あまりの馬鹿さ加減に私ももう笑うしかなかった。
 そんなことをしている間に美術館が閉まる時間になってしまい、結局マティス美術館をあきらめ、シャガール美術館だけしか行けなかったのが悔やまれる。
 カンヌに戻る私を駅まで送って来た彼は、ホテルを教えてくれと列車が発車するまで大声で歌っていたけれど、もちろん秘密にした。1日だけのボーイフレンド。それがいい。今日は充分楽しかったから。彼にしてみても、ほんのジョークで過ごした一日だったろう。好きになったふり。夢中になったふり。最後まで。そんなジョークを自分自身でも楽しんでいたような感じだ。
 彼とは二度と会うことはないだろう……。
 そのときには、そう思ったのである。
 帰国して何ヶ月も経ったある日、一本の国際電話がかかってきた。
 彼、だった。
 そう、列車の中で、それぞれイタリアと日本の住所交換をしたのだ。これは旅先ではよくあること。写真を送ったり、後に文通したりすることもある。
 電話口で彼は、会いたいと言う。
 普通の友達ならもちろん会う。向こうで親切にしてもらったお礼をしようと思うだろう。
 でも、彼の場合はなんだか違うような気がした。
 そんなことあるわけないと思いながらも、恋人としての私を求められているような気がしたのだ。
 イタリアから、そして日本のホテルから、何度も電話がかかってきたけれど、結局私は会いに行かなかった。その後も彼は何度か仕事のために来日し、その度に連絡してくれたのだが、やはり会うことはなかった。
 旅先での夢のような一日が、リアイティを伴って迫ってきたとき、私は後込みしてしまったのだ。
 夢は夢のままがいい。
 これは、ちょっとしょっぱい気持ちになってしまう想い出だ。

▼CosmosLab TOP