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文/佐藤朋子
ぼくの地球を守って
 台湾人のマリアと仲良くなってから、すぐのことだった。サンディエゴ州立大学内にあるESLの教室で、私たちはおしゃべりをしていた。笑いながら、ごくふつうの世間話をしていたと思う。そのとき、ふと、マリアが言ったのだ。
「私の祖母は日本語が話せるわ」
 それまで話していたような穏やかな口調で、でも、一瞬だけ、彼女は無表情になった。“祖母が日本語を話せること”と、彼女の無表情について、私は深い意味があることに気が付かなかった。
「へぇ、ほんとう! すごいねぇ」
 とかいうようなことを脳天気に言ったのだった。すると彼女は再び無表情でこう言った。
「日本に殖民地支配されていたから、無理矢理覚えさせられたのだそうよ」
 私はそのとき、何も返答することが出来なかった。謝るのも変だし、だからと言って、私には関係のないことだから、と切り捨てることも出来ないような気がした。
 マリアも、議論をする気はないようだった。彼女は、日本人の私に謝罪して欲しいから、それを話題にしたわけではないのだ。すぐに他の、いつものように笑って話せるような事に話題を移し、それからも私たちはずっと友達だった。
 戦争は、昔の人が犯した過去の過ち。現在の自分とは全く関係のない別世界のもの。当時の私はそんなふうに思っていたから、マリアの口から出た言葉はちょっとした衝撃だった。日本人の友達と話していて、普段の会話の中に「戦争」とか「殖民地」なんて言葉が出ることは絶対に有り得ないことだった。それなのに、すぐ近くの国の、自分と同年代の女の子の中では、戦争というものが形を変えて現在も生き続けているのだ。

 私が留学したその年は、湾岸戦争が行われた年だった。
 そして今また、大多数の国民の意に反して、一人の統治者(とその側近たち)の決定によって、戦争が始まってしまった。テレビのニュース、CNN、インターネットなどを通じて、日々、戦況が伝わってくるが、テレビで会見するジョージ・W・ブッシュの顔を見ていたら、気持ちが悪くなってしまった。今後、どのようにこの戦争が進むのか全く分からないけれど、何かとても悲劇的な事が起こりそうな気がして、たまらない気持ちになる。
 民間人をなるべく傷つけないように……、とアメリカは言う。あるニュースでこんなことを聞いた。バグダッドに住む8歳の子供が、空爆の後、24時間、叫び声を上げ続けた、と。このニュースは、どんな情報よりも、心が痛かった。どうか、今すぐ、この瞬間にでも戦争を止めて欲しい。

 大規模な反戦デモが世界各地で行われ、様々な人たちが声明を出している。
 ブラジルの作家、パウロ・コエーリョ(『アルケミスト』『星の巡礼』などの著書がある)が、ブッシュに宛てた手紙はこんなふうだ。(朝日新聞掲載)
「(前略)
 ありがとう、今世紀、ほとんど誰にもなしえなかったことを実現してくれて一一世界のすべての大陸で、同じひとつの思いのために闘っている何百万人もの人を結びあわせてくれて。その思いというものは、あなたの思いとは正反対のものであるのだが。
 ありがとう、再び私たちに、たとえ私たちの言葉が聞き届けられることがなくとも、少なくとも自分は黙ってはいなかったのだ、と感じさせてくれて一一それは将来において、私たちにより以上の力を与えてくれることになる。
 ありがとう、私たちを無視してくれて。あなたの決断に反対する態度を明らかにしたすべての人を除け者にしてくれて。なぜなら、地球の未来は除外された者たちのものだから。
 ありがとう、なぜなら、あなたがいなければ、私たちは自分たちに人を動かし、動員する力があることに気づかなかったはずだから。その力は今すぐには何の役にも立たないかもしれないが、もっと後になって必ず役立つはずだから。(略)」


 あるいは、ダライ・ラマ法王はこんなふうに語っている。(チベット亡命政府情報・国際関係省)
「(略)戦争によって勝者と敗者が生まれるのは間違いありませんが、それは、一時的なものに過ぎません。戦争の勝利も敗北も、長く続くことはないのです。また、私たちは、互いに大きく依存し合う世界に暮らしているので、ある国の敗北は、その他の国々に影響を与えたることは間違いありません。また、すべての国々は、直接的、または間接的に損失を被ることになるでしょう。
 今日、世界は非常に狭く、お互いを助け合うことで成り立っているので、戦争という概念は、過去の遺物であり時代遅れの手段となっています。大きな流れとして、人類は常に変革と変化について議論します。旧式の因習の中では、私たちの現実にはふさわしくない多くの局面、または、偏狭さゆえに逆効果を招くような多くの局面が存在します。このような局面は、歴史のごみ箱へと追いやられてきました。そして、戦争もこのごみ箱へと追いやらねばならないのです。(略)」


 私は特に、ダライ・ラマ法王の言葉に共感している。
 世界は非常に狭くなっていること、お互いを助け合うことで成り立っていること、過去の概念を捨て去ること。私自身もそんな気持ちを抱き、最近、ホームページを一新した(“nature”)。自然であること。ナチュラル&シンプルライフ。そしてささやかなボランティアの心。そんなことをテーマにしていこうと思っている。
 ボランティアといえば大袈裟だけれど、今は「ちょボラ」(ちょっとしたボランティア)という言葉もある。ほんの少しでいいから、自分でもできること、関心のあることをやってみようという呼びかけだ。ネットで検索しても、たくさんの「ちょボラ」を実行している人たちがヒットする。たとえば、<空きプランターにコスモスの種をまきました。>とか、<道端に落ちていたゴミをゴミ箱へ入れる>、アフガン難民援助、コンサート、献血……。
 このメルマガを読んでくださっている皆さんのなかに、何かそういう活動をしていらっしゃる方や、詳しい方がいらっしゃったら、是非教えてください。(Mail : nature@coco.co.jp

 今、どんなに反戦を祈っても、戦争は終わらない。けれど、パウロ・コエーリョは言う。
「すでに起動してしまっている歯車をなんとか止めようとして街路を練り歩く名もなき軍勢である私たちに、無力感とはどんなものかを味わわせてくれて。その無力感といかにして戦い、いかにしてそれを別のものに変えていけばいいのか、学ぶ機会をあたえてくれて。」
 私は、何かを学びたいと思うのだ。
 そしていつの日か、私とマリアのようなすれ違いのない世の中になればいいなと思う。

※この原稿に使ったタイトル「ぼくの地球を守って」は、日渡早紀さんの同名の漫画(1987より「花とゆめ」連載)へのオマージュとしての気持ちを込めて、お借りしました。

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