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文/佐藤朋子
カンヌ映画祭の頃
 世界に数ある映画祭のうち、最も華やかで知名度も質も高いといえば、カンヌ国際映画祭だろう。このフェスティバルは、毎年5月に開かれる。
 今年も、最近まで南フランスのリゾート地であるカンヌの街が、テレビやネットニュースで頻繁に映し出されていた。
 コート・ダジュール地方独特の強烈な陽光、映画祭のメイン会場であるパレ・デュ・フェスティバル・エ・コングレ(ヌーヴォ・パレ)。
 それらを目にすると、途端、数年前のカンヌ滞在の思い出が蘇ってくる。

 会社に無理を言って1ヶ月間の休みをとり、一人でフランスを旅した。
 パリを中心に、ホームステイをしながらフランス語を習ったのだ。もうひとつの目的は、印象派の画家たちゆかりの場所を巡ることだった。
 ゴッホ、ゴーギャン、ルノワール、セザンヌ、モネ、ロートレック……。
 パリ近郊に足を伸ばした後、私は南フランスへと拠点を移動した。

 まずはマルセイユに宿をとり、セザンヌが生まれ育ったエクス=アン=プロヴァンスへと向かう。ここで私はなんとも不思議な道連れを得た。
 彼女は日本人でやはり一人旅だった。
 エクスの街の道端で、私達は知り合った。きっかけは忘れてしまったけれど、どちらからともなく、という感じだったろうか。
 イタリアから流れてきたという彼女は、ローマでお金がなくなったとき、絵描きのおじいさんと知り合い、泊めてもらったりしたという体験を話してくれた。危険な目にはあわなかったそうで安心したけれど、無茶なことをするものだ。ただ、彼女は世捨て人のような、いろんなことに頓着しないような、不思議な雰囲気をまとっていたので、そんなこともあるかもしれないな、という気にもさせられたのだった。

 驚いたことに、彼女は私と知り合う前に、エクスの東北に位置するサント・ヴィクトワール山を登ってきたのだという。この山は、プロヴァンス地方の守護神とされ、セザンヌが絵画のモチーフとしても繰り返し描いてきた、荒々しい山である。セザンヌが畏怖したであろう、あの山を登ったって!?
「山を見てたら、急に登りたくなっちゃってね。筋肉痛になっちゃった。あなたも登ってきたら」
 いとも簡単に彼女はそう言ったのだ。
 これにはちょっと敵わない。山登りは遠慮して、私達はセザンヌのアトリエ跡を訪れ、そしてマルセイユへ戻った。
 彼女とは住所交換もせず、マルセイユの旧港で別れた。その後どうするのか、彼女自身も決めていないようだった。バックパッカーとも違う、生涯、旅人のような雰囲気をもった彼女は今、どうしているのだろうか……。

 その後、私は治安の悪かったマルセイユを離れ、カンヌへと移動した。じつは、コート・ダジュールであれば、ニースだろうとモナコだろうと滞在するのはどこでも良かった。カンヌを選んだのは、ニースほど有名な観光地というわけではなく、モナコほどゴージャスなイメージもなく、なにより「カンヌ映画祭」とという響きが頭のどこかにあったからだ。実際、カンヌの街は、こぢんまりとしたリゾート地といった趣で、日本人観光客も少なく、1週間ほどのんびり滞在するには、最適に思えた。
 ちょうどカンヌ映画祭が終わったばかりの、6月初旬のことだった。

 宿は、「MISTRAL(ミストラル)」という名のプチホテルだ。海から歩いて1分、ブルーと白で彩られた地中海風の外観のホテルだった。このホテルを決めるにあたっては、かなりこだわったのである。わざわざマルセイユから下見に来て、何件もホテルを訪れ、部屋を見せてもらい、時間をかけた上で決めたのだ。
 私はバックパッカーのような旅のスタイルは好きではない。荷物を背負い、いつも同じような服装で、行き当たりばったりに安そうな宿を、更に値切って決める。そしてすぐにまた別の場所に移動する、というような旅は、私には出来ない。
 観光旅行でないかぎり、少なくとも1週間は同じ場所に滞在したい。荷物をほどき、地元の市場などで食料や花などを買い揃え、普段の自分の部屋にいるように落ち着きたいと思うのだ。そして、高級でなくとも、綺麗 or 可愛いと思えるホテルがいい。変な名前のホテルも嫌。もちろんシャワー、トイレ有り。……と、我が儘なのだ。
 MISTRALは、<南仏地方の乾燥した北風>という意味だ。<春を呼ぶ風>とも言われる。日本語で言うと、<空っ風>。
 この名前も気に入ったし、オーナーも感じのいい女性だった。

 映画祭が終わったばかりのカンヌの街は、まぶしすぎる陽光とは裏腹に、どこか寂しげな印象もした。祭りの残骸のポスターや看板などがそこかしこに留まっており、わずか数日前には、華やかな映画人達がてんこもりだったであろうヌーヴォ・パレの前もがらんとしていた。
 私はそんなカンヌの街を目的もなく散歩し、海岸沿いをぶらぶらしたり、アトリエを観に歩いたり、時にはテイクアウトのチャイニーズを食べながら海岸で日焼けをしたりしたのだった。街に一軒しかなかった和食屋では、数日前に映画祭に参加した日本人スタッフ、監督や女優が打ち上げをしたばかりだと、店の人が教えてくれた。
 そして、バスや電車を使って、ニース、ルノワールゆかりのカーニュ・シュル・メール、アンティーブ、マティスが晩年に設計と装飾を手がけたロザリオ礼拝堂があるサンポール・ド・ヴァンス、香水の街・グラースなどに出掛けたりした。

 どこでも教会があると必ず中に入った。懺悔をする為に、ではない。お祈りをする為に、でもない。礼拝堂はひんやりと涼しくて、不謹慎だけれど、ひと休みするにはちょうど良かったからだ。整然と並べられた椅子に座って、日記をつけたり手紙を書いたりした。すると不思議なことに、厳粛な気持ちになってくるのだった。
 旅の途中のいくつかの出会い、ほんのつかの間一緒に街を歩いた人々、印象派の画家達の足跡、南仏の溢れる陽差しと真っ青な空と海……。
 そして、様々な思い出を抱えながらカンヌの街「ミストラル」へと帰るのだ。
 祭りの後のどこか気が抜けたような街は、一人ぼっちの旅人には優しかった。
 毎年この季節になるとだから、あの平和で穏やかな短い日々が、今も胸の中の或る場所で、息づいているように感じるのだ。

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