『かすかな希望の光』

文章/石野みどり
 月の終わりに仕事とプライベートを兼ねてベトナムに行ってきた。思うところは多々あるのだけれど、今、そのことをあえて思い出すのは『イラク戦争は終わった』とされ、新聞やテレビの報道も戦争の画面を映し出さなくなったからだ。

 戦争の事態は急展開しわずか3週間のうちに、いつのまにか始まり、そしていつのまにか終わった、のだという。わたしは1日も早い戦争の終結を祈っていたのだから、「終わった」ことをまずは受け入れることから始めるべきなのだろう。

 だけれど、どうにも違和感がある。よくわからない。何を持って終わったとするのだろう。強大な権力を持っていたフセイン大統領はいったいどこに行ったのか。戦争の名目であった大量の科学兵器は本当にあったのか。

 アメリカから配信されてくる映像は、すべて資本主義経済の象徴ともいえる大手広告代理店が仕切り、自由と正義のための戦争であるという演出がなされているのだそうだ。フセイン大統領の銅像が倒され、壊し群がる人々というのは必ずしも反フセイン政権でもなければ、明らかに演出のための一役をかっているに過ぎない。

 今日を生きるためにアメリカから金銭をもらい群集に参加している人もいる、と聞く。イラクの子供たちが大騒ぎをしながら無邪気そうな顔でフセイン大統領の銅像を叩き、壊している映像は、精巧に計算し尽くしたマインド・コントロールとなってアメリカの人たちの脳裏に馴染んでいく。
 フセインの独裁政治を崩壊してくれた「アメリカよ、ありがとう」。自分たちは正義のために戦い、イラクの子供たちから感謝されているのだ、と受け止めるだろう。

 イラクの人々全体が混乱のなかで、今日を生きるために必死になにかを行っている。そこにはもはや、個人の価値観や、宗教といった枠を超えて、ひとりひとりの冷静な判断がつかない状況なのだろうと思う。

 先日、大川豊興業主催の『イラクの歩き方』というビデオ&トークイベントで見た映像は、イラクに大川豊さんが出向き、現地取材してきたものだった。彼の話で印象に残ったのは、今、イラクの人々というのは集会場や飲食店に集まると、誰彼となく自分の主張を大きな声で叫び、そしてとにかく踊り、元気で陽気なのだという。

 イラクの人々に歓迎された大川豊さんは、外国のメディアも集まる大きな会場の反戦集会で「フレー、フレー、イラク!」とエールを贈っていた。するとそれに呼応したイラクの人々が会場のあちこちで思い思いに叫びはじめ、会場全体がひとつとなって熱い空気が流れ、その場に居合わせた女性幹部が感極まって泣きだしてしまうシーンがあった。

 そうすることによって、人々は自分を奮い立たせ、気持ちを昂らせるのだろう。そうでもしなければ、人は戦争という『死』の恐怖と向き合えないのかもしれない。
 わたしの目には、イラクの人々の個だけではなく、国全体が昂揚し、平常心を失っているように見えた。
 イラクという国は湾岸戦争以来、12年間ずっと戦争をおこなっている。当然だが、戦争しか知らない子供たちというのが、この地球上に存在する。

 かつてあのアメリカと戦って勝利した国、ベトナムに足を運んだときには生々しいものがあった。女性誌やファッション誌で『リゾートの国、ベトナム』などとおしゃれな特集を組んではいるが、とてもそこに目を向けてはいられない。確かに、ベトナムのなかのほんの一部分には、おしゃれで元気になれるベトナムの姿もあるのだが、わたしは街のあちこちで心が痛い思いを何度も経験した。

 子供たちがバラや絵葉書を持って、ワンダラーで買ってほしいとわたしを取り囲む。しかもそれが大量の人数。街のあちこちで何度も囲まれる。
 帰りのバスでは、強引にドアを開け中に入ってきてまで花を買ってほしい、という。
 わたしに買う意志がないとわかると、ドアの鍵を開け出発させない。買うまで居座るそぶりをする。
 横断歩道には足のない子供たちが、慣れた様子で腕を使って器用に歩いている。
 みな、元気でたくましい。笑顔がまぶしい。
 だからこそ、余計に心が痛くなる。
 この光景を見なれてはいけない。明らかに、何かがおかしい、と自身に問いかけることを辞めてはいけないはずだと思う。

 戦争で勝利しても、経済的に豊かにはなれない。文化も芸術も、戦争中には育まれる余裕はないし、今日を生きるために必死に作物を耕しても、空腹は十分には満たされない。戦争をおこなうことは、人間という生き物にとってなんと退廃的で愚かなことなのだろう。わたしはあの時、ベトナムで本当に強く感じたのだった。

 昨年、短期間滞在した沖縄も、日本の中では戦争がとてもリアルだった。イラク戦争の準備に余念がないアメリカは、沖縄のあちこちの米軍基地で予行練習をおこなっていたし、かつてこの地で戦争によって大量の人々が死んでいったのだということが生々しく残り、そして語られていた。
 『ひめゆりの塔』にある戦争体験を綴った生々しい手記の数々が、今もわたしの心のなかでヒリヒリとした悲鳴をあげている。

 このイラク戦争の最中、仕事でサンフランシスコと東京を行き来している友達がポツリとこう言った。
「わたしの周りは反戦デモに参加したり、家族や恋人がイラクで戦争をしている人ももちろんいるわよ。でも、アメリカの多くの人はイラクで戦争している最中だって、日本と変わらない平和な空気が漂っている。週末になったらデパートにお買い物に行って、好きな映画を見たりしてるもの。自分がテロにあうかもしれない、って心の底から恐怖に怯えてる人は少ないんじゃないかな。ずっとそんなことを心配してたら、不安神経症になっちゃうから無意識が遠ざけてるんだろうね。
 アメリカは本当の意味で自分の国が戦地になったことがないから、体感として戦争というものの恐怖をリアルに捉えられないんだろうな、という気がする」

 そういった意味では、2001年9月11日の同時多発テロが、アメリカにとって初めて自国が戦地になったという体験なのかもしれない。アメリカという社会全体があのテロによって深く大きく傷つき、そして、少しずつその傷みの感情が怒りのエネルギーへと変わっていったのだとしたら、アメリカもまたひとつの哀しい存在のひとつなのだという捉え方もできるかもしれない。

 繰り返す歴史のなかで、繰り返される愚かな行為と、痛み、そして過ち。
 人間の力だけでは、連鎖を断つことはできないのだろうか。

 先週の日曜日、結成30周年を記念したアルフィーの春のコンサートに行ってきた。オープニングが始まる前の会場には、SEに平和を願うジョン・レノンの『イマジン』が流れていた。そして、今回の来日公演を彷佛とさせるローリング・ストーンズの『ギミー・シェルター』が大音量で流れた後、メンバー3人が登場するのだ。

 ツアータイトルは『My Genaration』。いくつもの時代、流れのなかで、アルフィーというバンドが今、何と向き合い、そしてメッセージを放っているのかが確かに伝わってきた。戦争、平和、自由、そしてこんな時代だからこそ、ささやかな日常と自分の周りにいる大切な誰か、小さな命を守りたいという愛……。

 アンコールに登場した高見沢さんの帽子には、ピカピカと光るベロマークがあった。そう、ローリング・ストーンズのツアーグッズであるBLINKYである。来日公演では日本武道館や東京ドームに足を運んだ多くの人たちが身に着けていて、会場全体がとてもきれいで華やかだった。

 そのときふと思ったのである。ローリング・ストーンズも、アルフィーも、そして20年間変わらずに一緒にコンサートに行っている、わたしの隣にいる高校時代の親友も、二度とこない同じ時間を共有し、そしてたった今、同じ時代に生きて呼吸をしているのだな、と。それは奇跡的な偶然だし、とても幸福なことだ。

 時代の流れのなかで、世界のあちこちに戦争の傷跡があり、そこから何も学んではいない人間という存在が愚かに思えるときがある。痛くて、哀しい、罪深い存在だと感じることもある。母なる地球は、いつまで寛大に人間という存在を許すのだろうか。
 それでもわたしは、周りの人たちと触れあい、心が揺さぶられるような体験を何度もしているなかで、かすかな希望の光を見い出したい。今を生きる時代のなかで。
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