『多摩川のアザラシとタイムカプセル』

文章/石野みどり
 日、タイムカプセルが届いた。差出人は、1年前のわたしだ。
 郵便局の人がマンションの下からチャイムを鳴らし、
「ポストに入らない郵便物をお届けにきたんですが…」というからなにごとか、と思った。
 一体、誰が、どんなにでっかいものを送ってきたんだ?

 受け取ってびっくり。ガシャポンのカプセルが1つ、中に紙が入っている。
 それは1年前に確かに自分が書いた、わたし宛てのメッセージだった。

 企画したのは舞台監督の友達で、1年前、わたしは子供向けのイベントに主催者側で参加していた。
「ガシャポンのカプセルがそのままの形で郵便で送れるらしい」と知った友達から話を持ちかけられ、「タイムカプセルのように来年の自分へメッセージを送ったらおもしろいんじゃない?」という話題で盛り上がり、イベントの目玉企画となった。
 いわば、タイムカプセルも自分達で仕掛けたのだから、1年後に届くこともあらかじめわかっていたのである。

 仕掛けておきながら、わかっていながらも、ふいにカプセルが届いて動揺した。
 中に書いてある1年前の自分からのメッセージに、少し呆れながらも、うらやましい思いを抱いた。なんと、平和で、呑気なことか。

 そこにはひとこと、「あきらめない夢」……などと書いてある。

 イベント会場に来ていたたくさんの子供たちの笑顔に触発されたんだろう。東京のど真ん中のスペースに、昔懐かしい本物の竹を使った竹馬や、ベーゴマ、竹とんぼ、ダンボールの家や、おおきな池を作った。竹馬やベーゴマは、今でも手作りで製作しているという職人をインターネットで探し出し、本物にこだわった贅沢なおもちゃだった。昔の子供の遊びを忠実に再現しながらも、現代の遊びも取り入れ、1年前のわたしはすっかり子供気分に浸っていたのだった。

 メッセージは、そんなわたしからの何気ない日常から出てきた言葉だったのだ。

 それなのに最近のわたしはときどき、言いようのない息苦しさを感じるときがある。五木寛之氏の『運命の足音』を読んだり、NHK衛生放送で日本以外のニュースに触れたりしたときに、ふと日本のテレビチャンネルに目をやると、そこでは連日、多摩川のアザラシを生中継している。

 アザラシを報道するのが悪いわけでも、アザラシが嫌いなわけでもないのだが、わたしのなかで微妙ないらだちを生じさせるのも確かだ。それはわたし自身が、1年前に呑気な平和にどっぷりとつかっていた、その頃とあまり変わっていない日々を最近過ごしていたことに気づかされた、いらだちなのだろう。

 アザラシと1年前の呑気な自分が、シンクロしている。
 もうすぐ、アメリカ同時多発テロ事件から1年たとうとするこの時に。
 ビン・ラディンの行方は、本当はどうなっているのだろう。
 イスラエルはいつか本当に互いにわかりあえるときがくるのだろうか。
 そして、秒読み段階とさえ言われているアメリカのイラク攻撃は、誰にも止められないのだろうか。

 そんなことをぐるぐると一人で考えていても、答えはもちろん出ない。
 人というのは、わからない、ということがいちばん得体が知れずに、やっかいで不安を抱えることになるから、何かと自分に都合のいい“言葉”を側に置いて、納得したがるものだという。
 特にわたしは、わからないものを「わからない」ままで、そのまま置いておくというのがとてもニガテである。

 だが今回ばかりは、誰かが言ってくれた言葉で、教えてくれた言葉で納得したりしないで、この、わからない、というものを、自分の脳みそを使って考え続けていたいと思う。人はどんなに強い意志、精神力、肉体をもったとしても、いつか必ず自分の思いどおりに頭脳をつかうことができないときがくる。
 自分の思いどおりに思考を使い、日々の些細なことや大きな問題で悩み、描きたいビジョンに向かって努力することが許されるひとときがある−。

 そんな当たり前のことを、最近忘れていた、と思う。

 そのことに気づいてから再び、アザラシに目をやり、1年前の自分からのメッセージに思いをめぐらせる。
 「あきらめない夢」……なかなか悪くない。今のわたしに必要なメッセージのようにも思える。

 2001年9月11日。あの日、わたしはいつものように遅い夕食をとりながら、見るともなしにテレビをつけていた。あのときのハンバーグの味は、今でもわからない。大きな衝撃を受けると、味覚を感知するところまで脳が働かないのだろう。

 2001年9月11日。あなたは何をしていましたか?
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