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 2001年も残すところあとわずかだ。とりあえず今年やり残したことは来年に持ち越して、なんとなくこのままゆるゆると新しい年を迎えたい……。今年はそんな気分である。思えば去年と一昨年は世紀末だの、2000年問題だのと何かと周りが騒がしく、浮かれ気分とは無関係でいたいと願ってもやはりなんとなくお尻がモゾモゾするような感覚がつきまとっていた。
 でも今年は違う。相変わらず世間でいうところの“ゴーカおせち”とは無縁なものの、ごくごくフツーに過ごしてみたい。どこにでもある、当たり前の日常として、1月1日を迎えたい。3月1日とか、7月1日とか、なんてことのない1日として。
 今は、それがどんなに大切で感謝すべきことか、わたしは知っている。
 何気ない日常の、ごく当たり前と思っていた風景を。

 前回お送りした《Cosmos Lab》でtomokoさんが、「きれいなものを撮りためている」、と書いていたことが気になった。
 そのときわたしはヘコんではいなかったけれど、どこかでココロがカサカサしているような感覚をずっと持っていたことに気がついた。最近、敏感肌で悩んでいたこともあったけれど、潤いが足りなかったのは身体だけじゃなかった。きれいなものにココロを捕らわれる、そんな遊びが少なかったのだと思った。
 きれいなもの。一瞬にしてこの手の平からこぼれ落ちて消えていくもの。形があっても内面から輝いているもの。手の届かないもの。永遠のもの……。
 人によってきれいの定義はさまざまだ。光、色、熱、形……目に見えないものまで、わたし達の周りにはたくさんのきれいなものがある。それらをひとつひとつ救い集めて、きれいなガラスの小箱にそっと仕舞っておけたらどんなにいいだろうと思う。そして自分が必要なとき、必要な分だけ、ココロをキレイなもので満たすことができたなら……それこそが十分な幸福というものではないだろうか。
 連日、映し出される報復という名の正義をかざした戦いが続くなか、せめて感覚を麻痺させないことがわたしにできる数少ないことのように思ってきた。昨日は何十人の人が亡くなった、今日は何百人の人が死亡した……というテレビや新聞の報道からは片側サイドからの情報だけでリアリティを感じられない。このままでは風化してなにも感じない、かつての平和にボケるくらいのニッポンに戻ってしまいかねない危機感を覚えている。
 芸能人ののぞき見騒動や脱税事件は、炭素菌の恐怖よりも重大なことなのだろうか。そのようなコンテンツを放映してる間にも戦いは続いているのであり、何百人もの人達が亡くなっている痛みをきちんと受け止めたいとわたしは思う。
 そうした毎日の繰り返しで、ココロがカサカサになっていたのだった。
 それでもわたしにはふと目線を上に頭を空へと傾けてきれいなものを見つけることができる……そんな自由を持っている。クリスマスからお正月へと彩りを変える光のイルミネーションの下を歩くこともできるし、心が温かくなるムーミン童話の世界に触れることもできる。ハリーポッターの映画も見たいな。ココロが洗われるようなきれいなものがわたしの周りにはたくさんある。

 今、わたしの隣でぬくぬくと毛布にくるまって惰眠をむさぼっているのはロシアリクガメの亀美だ。部屋の温度は24度。電気あんかの上にいるので、お腹はぽっかぽかだ。両手両足を卍状態にして眠っているから、まさに究極のリラックス状態である。警戒心などまるでなく完全に安心しきって眠っているその姿は、どんな生き物でもまさに平和そのもの……のように飼い主には見える。
 さて、この亀美なのだが、本来の名前はヨツユビリクガメという。四肢の爪が4本であるところからきているのだが、ロシアリクガメというのは通称だ。またの名をホルスフィールドともいい、やたらとたくさんの名前がある。いちいち覚えるのが面倒なのでロシアリクガメで覚えていたのだが、当然、出身地もロシアであると思い込んでいたのだが……ふと先日、『カメのすべて(成美堂出版)』という写真集を見て目を疑ってしまった。
 『生息地/アフガニスタン、パキスタン、ウズベキスタン』。
 リクガメにも関わらず甲羅が盛り上がっていないのは、土の中に深く潜って冬眠するため−とある。寒さにも強い。
 この解説を読んで、途端にアフガニスタンの山岳地帯の映像が頭に浮かんだのは言うまでもない。少なくとも、今、わたしの横で寝そべっているひとつの小さな命は、あのアフガニスタンからやってきた可能性を持っている。そう考えただけで、今、ココでこうして一緒にいられることがとても奇跡的なことのように思えてきた。とても、きれいな、大切な命。
 亀美がやってきたアフガニスタンは、戦争がはじまる前は桃源郷のように美しい場所だったそうだ。今、Yahoo!のブックショップでハリーポッターシリーズ3部作に続いて人気ランキング4位になっているのは、1995年に出版された『せかいいち うつくしい ぼくの村』という絵本である。物語の舞台となっているのは、作者である小林豊氏が実際に滞在して描いたという、アフガニスタンの小さな村だ。豊かな緑がいっぱいで人々との心温まる穏やかな日常が綴られている。絵本のページをめくるたびに、きれいな景色に心がときめく。かつては確かにその場所にあったはずの当たり前の日常。当たり前の風景。今回の戦争にあたり絵本には新しい1ページが加えられたのだそうだ。
  『この としの ふゆ、村は せんそうで はかいされ、いまは もう ありません』(『せかいいちうつくしいぼくの村』より抜粋)

  イメージ  きれいなものは一瞬にして消えてしまうからこそ、美しいと感じるのだろうか。ある瞬間にだけ輝き、あっという間にこの世から消えていってしまう。獅子座流星群のような、流れ星のように。
 それでもわたし達は、今、確実に、この世に生きているというのに。
 はるか宇宙の時間軸からすれば、今、起きているすべてのことは軽い瞬きひとつで終わってしまうことなのかもしれない。宇宙の塵みたいなものなのだろうか。
 それでもわたしはきれいなものを恋い、記憶のどこかに残そうとあがき続ける。
 宇宙にとっては一瞬でも、わたしの時間軸はまだまだ先が長いから。きれいなものがわたしの精神的な支えに必要だから。
 もうすぐ、また、新しい年がはじまる−。

※参考資料
『カメのすべて』/高橋 泉著/三上 昇・監修/成美堂出版
『せかいいち うつくしい ぼくの村』 小林 豊・著・絵/ポプラ社
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