『「さよなら」を告げる日が来ても人は癒される』

文章/堀本真理美
 『人はなぜ犬や猫を飼うのか』という興味深い題名の本を見つけ、手にとってみた。この本では動物たちを「ペット」というより「コンパニオン・アニマル」として捉えた動物と人との関わりについて書かれている。近年医療の現場では「動物介在療法(アニマル・アシステッド・セラピー=AAT)」の効果が確実に注目を浴びつつある。この分野は日本より海外からの研究報告が多いのだが、医療関係者のあいだで事故の可能性や衛生面を憂慮して導入に慎重な姿勢がある一方、精神神経症、心臓病、高血圧といった症状が改善される臨床例が次々と発表されているのも事実だ。
 健康状態に関わらず、多くの人が犬や猫を飼いたがるのには、古代から続く人と動物の共存共生の歴史が関わってくる。犬は人が初めて家畜化した動物だと言われているし、猫は古代エジプトでは神として崇拝された。動物行動学者のC・ローレンツが「犬と猫だけが、捕らわれの身としてではなく、自分たちから人間の家に入ってきた動物であり、奴隷というよりもっとほかの意味で飼い慣らされた。」というように、犬と猫には他のペットたちとは違うヒトとの関係があり、共にいることでわたしたちの気持ちを和ませ、癒してくれるのだ。
 ところで、ヒトの感情には動物と親密な関係を持つことでしか発達しない部分があるという。動物、特にペットのような小動物に対する愛情というのは、一般に幼児期の体験に基づいているというのだが、わたし自身その事例に当てはまるのかもしれない。わたしがまだ幼かった頃、祖父母の家では犬を飼っていて、訪ねる度に一緒に遊んだものだ。ときどきやってくるノラ猫に勝手口で魚をあげたり、夜店で買った金魚やウズラを飼ったり、仲良しの友達の家のマルチーズ犬やハムスターとよく遊んだ記憶がはっきりと残っている。そんな体験のおかげか、大人になってからも動物が大好きなのだ。なかでも猫は、現在から過去十年間で一番身近な動物だ。
 いつからか家の庭に遊びに来るようになった雑種の迷い猫は、通い猫から昇格してウチの子になり「シロ」と呼ばれるようになった。誰にでもすぐ愛嬌をふりまき、食事と昼寝が大好きで、みるみるうちに真ん丸の大きな猫になった。家人を差し置いて居間の一番居心地の良い椅子に陣取って、それが当然と言わんばかりの顔をして寝る体勢に入る。過去に尿道結石を患って以来、食事は病院が推薦する調整ドライフードを主食にしていたが太めな体型は彼女のチャームポイントだった。ところが、加齢のためか一年ほど前から体調を崩しやすくなり、だんだんと体重が減っていった。
 そしてとうとう昨年の暮れ、彼女は動物病院で亡くなった。
 ある程度大人になってからうちにやって来たシロの正確な年齢はわからないのだが、十三歳くらいということだった。数カ月前から体調を崩し苦しそうに肩で息をするシロを診た獣医師は、「年内がヤマです」と家族に告げた。腎炎が悪化して心臓の機能が落ち、最後には食事ものどを通らず自分で用を足すこともできなくなっていた。
 決断を迫られた結果、わたしたち家族は「安楽死」という選択をした。
 老猫であるために治療をしてもどれだけ生きられるのかわからず、元気になる確証もない。かといって、延命処置で小さな身体に針やチューブをたくさん刺されて苦しそうに横たわる彼女を想像したら、それも耐えられなかった。
 もうあの日向の匂いのする背中を撫でられないんだ。小さな手も、長いしっぽも、やわらかい耳も、もう触れることが出来ないんだ。そう思ったら涙が止まらなかった。わたしは、固いベッドの上に横たわるシロの柔らかいおなかにしばらく顔を埋めて、さよならをした。悲しくて、申し訳なくて、顔を見ることができなかった。彼女の背中を見つめながら心の中で「バイバイ」と言って診療室のドアを閉めた。
 あらゆる生き物に死はやってくる。
 そう頭では理解していても、いざ「死」に直面すると人は途方にくれてしまう。これはわたしが初めて目の当たりにした死の瞬間だった。しかも、「死なせて」しまったという気持ちが、死の事実をより一層つらいものにした。
 けれど、どんな状況であれ「死」を受け入れ、それにともなって生じる様々な感情を体験することが癒しの第一歩なのだ。そう教えてくれたのはゲーリー・コワルスキー氏の『癒される日々』だった。
 ペットの死をそれほどに悲しむのはちっとも子供じみてなんかいない。それは、誰かに取るに足らないことと軽んじられるべきではなく、むしろ尊重されるべきなのだ、と。
 それでも、ふとした瞬間に思い出して泣き出してしまうことがある。事実わたしは泣きながらこの原稿を書いているし、まだ「死」を穏やかな気持ちで受け止められないでいるのかもしれない。けれど、ゆっくりとではあるが、思い出を愛おしく懐かしむゆとりも生まれつつある。共に過ごした時間は心暖まる思い出として心に残っていて、それらが時間の経過とともに悲しみを癒していくことをわたしは知っている。
 そう長くはない期間でも共に過ごしたこと、愛情を注いだこと。
 それはなによりもわたしを癒してくれたのだから。

参考文献:
『癒される日々〜ペットの死をこえて』ゲーリー・コワルスキー著/晶文社
(著者について:アメリカのユニテリアン派教会の牧師。積極的に動物愛護活動に関わっている)
『人はなぜ犬や猫を飼うのか〜人間を癒す動物たち』有馬もと著/大月書店
(著者について:英国で修士号を取得し、専門は動物行動学見地からみる「母性」の国際比較研究)
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