『紅茶とからだの関係』

文章/佐藤朋子
 近、私は食いしん坊になった。
 と言っても、カニやフグ、お寿司にフレンチなど値段の高いレストランでの食事を好んだり、地方の名産物を取り寄せては舌鼓を打っている、というわけではない。
 ただ、食べるという行為に対してとても真剣なのである。
 食事やお茶の時間のたびに、自分のからだが今、何を欲しているかというのを、それはそれは真剣に、注意深く考え、可能なかぎりそれに近い物を食している。
 ある時友人から夕飯に誘われた。「何食べたい?」と聞かれ、私はまるで数学の問題でも解くかのように必死に考えこむ。その様子に呆れた友人が、
「じゃあ、なんでもいい? ○○に行くよ」と、先走ろうとするのを止めて、
「わ、和食がいいって言ってる」と、慌てて言う私。
「誰が?」
「え、私のからだが」
 そう言うと、
「お告げか!?」とアヤシイ目で見られてしまうこともあるけれど。
 それでも、いいのだ。
 以前、「おいしい時間」というエッセイでも、次のように書いた。
「体が欲するものを食べることは、とても幸福なことだと私は思う。おいしいと思って食べると、私の体は純粋な喜びに満たされる。体中の細胞が喜んで、ぐんぐん栄養を吸収するのを思い浮かべる。だから、できるだけ真剣に自分の体の声を聴きたいと思う。」
 そう、その「声」が以前にも増して、はっきりと聞こえるようになった。
 きっかけは、ある朝のことだった。
 私は毎朝コーヒーメーカーをセットし、炒れ立てのコーヒーを飲む。部屋にただよいだすコーヒーの香りにむくむくと覚醒しつつ、マグカップを片手にしばしぼーっとするのが毎日の楽しみだ。それからメールチェックやらフェレットのエサやりやらいろいろとこなし、少し時間が経ってお腹が空いてくると、おもむろに朝食つくりをはじめる。もう何年もこのように過ごしているので、この朝のパターンはずっと変わらないだろうと思っていた。
 しかし、変化は突然やってきたのである。
 その日、朝起きても、なぜかコーヒーを飲みたいと思わなかった。
 ん、何かヘン。
 ほらほら、あの香ばしい香りを思い出して。ほ〜ら、コーヒー飲みたくなるでしょう?
 などと私は心の中で自分に向かって言ってみたのだが、いっこうにコーヒーにはそそられない。不規則なりに規則的な生活をおくっている私にとって、朝のささやかな儀式が変更されるのは、ちょっとした衝撃だ。そこで、じゃあ今私は何が飲みたいんだろう……と真剣に考えた。すると、紅茶が浮かんできた。
 そうかそうか、コーヒーの香りも捨てがたいけど仕方ない。じゃあ、今日は紅茶にするか。
 と、その日以来ずっと、私のからだは紅茶あるいはお茶を望んでいるのだ。我ながら不思議だ。一生分に飲むコーヒーの量を既に飲み干してしまったんだろうか。
 いや、コーヒーに罪はない。
 私自身のからだが変化したのだとしか言いようがないのだ。
 これって何か年齢的なものが関係してるんだろうか?
 気になってネットでちらっと調べてみたが分かるはずもなく。ちょっと気になったのが、紅茶に多く含まれる「タンニン」だ。
 紅茶に含まれる『タンニン類』は、水色、香り、味、全てに直接関わりをもつ重要な成分で、様々な薬効があると言われている。その中に、成人病予防、ボケ防止というのがあって、無意識にからだが欲していたのかしら……、やっぱり年のせいかも……などと思ってしまった。カフェインの含有量はコーヒーよりも多い紅茶だが、湯の中に溶け出したカフェインがタンニンと結合して、その状態で体内に取り込まれるため、効果はゆっくりと穏やかで、体にも優しく作用するそうだ。だから、過敏症の人や、小さな子供にも安心して飲ませることが出来る。
 つまり紅茶は、『興奮作用』よりも『鎮静作用』の効果の方が大きく、ストレスを和らげ、精神安定をもたらしてくれるのだ。コーヒーとの違いで分かったのはそれくらいである。
 さて、毎朝のコーヒーの楽しみがなくなったのは寂しいかぎりだけれど、突然の変化に臨機応変に対応できるのが私の長所のひとつである。今では、おいしい紅茶の葉を探すべく、「L'EPICIER」千駄ヶ谷本店に通う日々だ。春摘みのファーストフラッシュのダージリンが楽しみになったり、今度はどんなフレーバーティを試そうかなどとうきうきしている。そういえば、すぐに調子に乗るのは私の短所のひとつだった。
 こうしてコーヒー党から紅茶党へと変身した私だが、以来、自分のからだの欲する声というのが、以前よりもぐんと大きく聞こえてくるようになったのだ。また、それに対して常に注意深くあろうと思うようにもなった。
 先日の朝、さあどの紅茶にしようか、と考えた……というか、自分自身に聞いてみた。すると、最近好んで飲んでいるアールグレイをからだが拒絶した。
 普段ならあの酔ってしまいそうなくらい深ーいベルガモットの香りが大好きなのに、その日はどうしてもそれを飲めなかったのである。そして結局、煎茶をいれた。
 その日の午後、ふたつの打ち合わせを終え、帰りの地下鉄の中で私は冷や汗をかいていた。なんとか自宅のある駅まで我慢すると、ヨロヨロとホームを歩き、ベンチに座り込んでしまった。自宅に戻ると熱が上がり、早々とベッドにもぐりこんだ。そして、発熱してぼーっとする頭で思った。
 あぁ、今朝のアールグレイ……。
 おいしい紅茶をおいしいと思いながら飲めるのは、なにより健康の証拠なんだなぁ。
 紅茶は饒舌である。
 熱が下がった翌日、2週間ぶりくらいに母に会った。すると、彼女は私の顔を見るなり、「いつもと顔がちがうわ。どこか具合が悪いんじゃない?」と言うのである。同じ日に、他にも何人かの人に会ったが、誰にもそんなことは言われてはいない。ちなみに父も何も気がつかなかった。
 さすがは母である。母ともなると、自分のからだだけではなく、子供のことまでよく分かるんだな、と妙に感心したのである。
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