『Mac World EXPO 2002』

文章/石野みどり
■innovateからDigital Habへ

 ーンッ。10ギガバイトのiPodだって?
 MacWorld EXPO TOKYO2002の初日の基調講演から帰ってきて、わたしは【I'M HERE.】のBBSにこんな書き込みをした。
 『1000曲入るのも、2000曲入るのも変わらないよ。』
 いや、しかし、10ギガバイトのハードディスクが6万2800円だもんなあ。
 時間が経つにつれ、じわじわと悔しさが増してくる……ような気がする。
 去年のクリスマスに5ギガのiPodを買ったばかりだよ? MacばかりでなくiPodでも新しいバージョンを即座に出してくるとは思いもしなかった。
 これでもう周りに自慢できないじゃん。いや、別に自慢するためだけに買ったわけじゃないけれど。(新しいものを手に入れて周囲に自慢して回るなんて、子どもじゃないんだからさ)。こんな声が心のなかから聞こえてくるけれど、ことMacのことになるとついついムキになってしまう。
 世の中にひとつくらい、そんな存在があってもいいとわたしは思う。
 今年のMacWorld EXPO TOKYO 2002の来場者数は3日間で17万3385人だったそうだ。たかが、一パソコンメーカーの発表会に過ぎないのに、毎年、熱狂的なファンが変わらず集まる。冷静に見れば、不思議な話だ。
 特に今年は画期的な新製品の発表があったわけでもなく、にもかかわらずAppleのCEOであるスティーブ・ジョブズの基調講演には朝早くから行列ができていた。来場者数は約6000人である。わたしも含めて、どこかおかしいんじゃない? などとも思う。ミュージシャンのライブじゃないんだから。6000人集められるロックバンドって言ったら、少なくともインディーズには無理だよね?
 思うに、Macを好きな人は、人としての生き方や夢そのものもセットにして製品を買っているんである。スティーブ・ジョブズはコンピュータ、という物に哲学的コンセプトをつけて、いかにほかのパソコンとは違うかを淡々と説く。すると新しいiMacのように、パソコンの本体が四角から丸になっただけで、液晶が本体とくっついただけであっても、なにやらものすごく素晴らしいものに見えてしまう。もちろん、機能的に容量が大きくなったり、スピードがあがったりとできることが増えたことも魅力のひとつではある。
 ただそんな機能的なものは大して重要なことではなく、パソコンとはこういうもの、という固定観念が大きく根底から変わり続けているところがMacはすごい。
(そっか、パソコンって、ただ無機質なデカいだけの箱じゃなくってもいいんだー。三角形でも、丸でも四角でも、それに色だって赤や青や、オレンジに、紫なんてものもアリなんだ。ホタテの形をしてたり、把手がつくのも意外とかわいい…)。
   そう、コンピュータってものに人のココロが、勝手に親近感や愛着を覚える。それは極めてパーソナルな感情で、イメージする世界がグーンと広がっていく。
 それがマッキントッシュである。
 今回の基調講演でスティーブ・ジョブズはAppleの戦略を、『innovateからDigital Habへ』と位置づけていた。PDAや家電製品が機能的に進化を遂げるなかで、これからの未来はパソコンなんて必要ないのではないか−と世論で言われることへの明確な答えだ。
 Digital Hub。それはパソコンを中心にすべてのデジタル機器がつながるという意味だ。言うまでもなく、パソコンとはマッキントッシュのことであり、すべてのデジタル機器の中心にMacが存在する、ということを示唆している。いわば宇宙の中心は自分たちAppleなのだ、と言ってるようなものだ。
 ずいぶんでっかいビジョンである。ジョブズは言う。
「デジタル機器はMacに依存している。DVDプレーヤやデジカメなどの周辺機器がどんなに優れていても、PCなくしてデジタル加工やクリエイティブなことはできない。そのためにはソフトが必要である。iMovie、iTunes、iPhoto、iDVD…ハードもソフトも両方を手掛けている唯一の会社だからできるのだ」、と。
 iMovie、iTunes、iPhoto、iDVDも、個人が楽しむには最高のツールだ。デジカメで写真や映像を撮り、かんたんに編集してDVDに焼くことができる。音楽を聴くだけではなくてiTunesでビジュアルまで楽しめてしまう。
 家族や恋人との旅の思い出、日々の景色の移り変わりといったアナログ的な感情は、家に戻った後でもデジタルな形で編集しいつまでも大切に保存しておくことができるのだ。
 パーソナル・コンピュータに大切なのは、いかに人間らしさを具現化するかといった極めてアナログ的な感覚であることのように思う。そうでなければ、単なるコンピュータに親近感や愛着なんて持てない。物に惚れるということは、作り手側のイマジネーションが受け手のココロに届くということだから。

■ただ個人であり続けること

 基調講演を聞き終え、東京ビッグサイトの展示会場へ足を踏み入れるともうそこは『年に一度のMacのお祭り!』といった熱いエネルギーが満ちていた。Appleの市場シェアが年々小さくなっていくのに対し、それでもMacを手放さない人たちが集まったパワーに圧倒された。
 はっきり言って濃すぎです! 特に、MacのUsersグループのエリアは。と言いつつなにか掘り出しモノがないかな〜っと、足を踏み入れるわたしもワタシだけど。趣味の粋をさっくり飛び越えてる人たちの展示品には、目を見張るものがありました。そして、みんな一様に楽しそうないい表情をしていたのだ。
 なんか気持ちのいいエネルギーが流れてるな。単純にそう感じた。そして、つい最近、友達と一緒に行った生け花の展覧会の空気を思い出した。そこはなんだか妙に、居心地が悪かったのだ。
 本家の家元と呼ばれる人たちの作品も展示されるから、と誘われ初めて生け花の展示会というものに行ったのだが、見慣れないせいか、その良さがよくわからない。生け花に関してはまったくのシロートなので、絵画を見るように作品から感じる印象を大切にしようと思って見て回ったのだが、感じようとすればするほど、気分が落ち込んでくる。
 勝手につけたタイトルといえば、『渾沌』とか『もがき』、『低迷』……。生けた人はそんなことを意図したわけじゃないだろうに、と意識の部分で考えを修正するのだが、どうやってもすっきりとした気分になれないのだ。そのときのわたしの精神状態は、決して悪いものではなかったのだが…。
 生け花ってこういうものなの? せっかく誘ってくれた友達には悪いのだけど、そんな素朴な感想をなげかけると彼女はひとこと。
「生け花も作品を創るって意味では、時代の空気や色ってものが無意識に現れるものだから、全体を見渡して重い印象を受けたっていうのは間違ってないと思うよ」。
 テロや戦争や景気の悪化…。生け花ひとつとっても、なんだかわたしの周りはすっきりしない空気がいっぱいだ。そんなとき、MacWorldEXPOに行って、なんだか本当に元気になった。それはMacというものがごくごくパーソナルなコンピュータであることと無関係ではないと思う。
 得体の知れない不安を作りだしても意味はない。すぐに明解な答えがでるものでもない。だからこそ、ただ個人であり続けること。Macはパーソナルが創造しうる最大限の喜びを、表現できるコンピュータなのだ。わたしが本当に自分であり続けるために、Macというものが存在する。最近のわたしはそんなふうに思っている。
 さてさて。そこでわたしは会場で、愛すべきiBookを入れて運ぶクリアなリュックサックを手に入れた。黄色いふちのついた、小さくてかわいいリュックである。展示会場でひとめぼれをし、ぜひとも売ってほしい!っと懇願したのだが、なんとそれは試作品で、リュックのなかにはエアマットとiBookの熱をさます機能などこれからいろいろ付くらしい。……ということで、わたしの手元に今あるのは、サンプル版のリュックである。それでも、取り外し可能な小さなバッグがいっぱいついていて、アンプやUSBケーブルを入れて持ち歩くには十分である。
 製品ができたらまっ先にPowerLabから連絡が入るはずなのだが、この原稿を書いている時点ではまだ届いていない。来月の《Cosmos Lab》では、詳しくこのリュックの機能がご紹介できることと思う。機能的であるのはもちろん、ホントにかわいい。12インチiBookの小さい鞄を探している人にはぜひともオススメである。黄色だから、男性にも女性にもいけるんじゃないかな。
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