『私が私であるために』

文章/佐藤朋子
 今年の夏、あることが起こって以来、家の中を移動する際につま先立ちで歩くようになった。それはとてもささいな出来事で、他人から見れば笑っちゃうくらいくだらないことだ。でも私にとっては周りの景色が一変して見えてしまうほどに衝撃的なことだったのである。
 ある夏の日、原宿にある店でチェリーピンク色のTシャツを試着したときのことだ。のぞきこんだ鏡には、私じゃない別人が映ったような気がしたのだ。わかりやすく言うなら、明るい色のTシャツにくらべて私自身が色褪せしかも太って見えた。似合わない色やデザイン、素材というのはもちろんある。痩せたり太ったりして体型が変わったこともこれまでにはある。でもそういう理由だけではないことがなんとなく分かった。そこには、今まで見たことのない私がいたのだ。
 店の照明のせいかも。Tシャツの色が良くないのか。ちょっと疲れているだけかも。ただの見間違いだよね……などと咄嗟にいろいろと言い訳を思いついた私は、自宅でゆっくり確かめようと思って似合わないTシャツを買って帰った。
 家に戻って、どきどきしながらTシャツを着てみる。鏡を見る。やっぱり何か変。去年気に入ってよく着ていたカットソーなども引っぱり出して着てみる。……似合わなくなっている。たった1年のうちに、いったい何が起こったんだろうと頭を抱えてしまった。
 三十歳になったとき、不安に思った。私は変わってしまうのだろうか、と。でも、二十代が終わってしまうという小さからぬ出来事によって、実際に変わったものは何もなかった。その日を境にいきなり顔がしわくちゃになってしまうとか、体力が衰えるとか、恋人にふられるとか、社会から突然おばさん扱いされるとか、そういうことはもちろんなく、仕事も恋愛も友達も相変わらずだった。私の生活はなにひとつ変わることはなかった。なーんだ、こんなものか。よかった、と私はそっと胸をなでおろしたのだ。
 それが今、自分ではどうにもならない身体の変化というものを体験している。そのことに少しでも抵抗しようと思い、私は部屋の中をつま先で歩くのである。普段から身体に緊張感を強いていたいからだ。
 かんたんに言えば、私流のダイエットのひとつかもしれない。
イメージ  恋をするような年齢になってから、周りの友人達も巻き込んで私のダイエットの歴史は始まる。リンゴダイエット、豆腐ダイエット、どこに行くにもカロリー表を持ち歩いた友人、お腹に虫を飼った友人、食事の後に必ずトイレで嘔吐した友人、痩せるお茶や石鹸やマッサージクリームや……、そんななかで何人かの友人は拒食症になり、過食と交互に繰り返すようになってしまった友人もいる。最近では、私よりいくつか年上の知人がビール酵母を食べて、10キロのダイエットに成功したという話を聞いたばかりだ。
 何のために私達はダイエットを繰り返してきたのだろう?
 もちろん自分自身がキレイになりたいから。でもそれ以上に、好きな人にキレイだと思って欲しいから、という気持ちが強かったように思う。だから、好きな人の「痩せてる子が好き」の一言で無理なダイエットをし、拒食症にまでなってしまう。
 愛されたい──。
 そんな気持ちから女性は自分の身体をコントロールするのだろう。
 私自身もそうだった。
イメージ  何人かの女友達とどこかのカフェでお茶をしていたときのことだ。目の前を、色とりどりのケーキを載せたトレイをかかげてウエイターが通り過ぎる。するとそれを目で追っていた一人がため息をついた。
「あぁ、おいしそう。食べちゃおうかなぁ……」
 彼女はなんとなく私達の顔色をうかがう。
「どうぞー。あたしは我慢するけど」と、別の一人が言う。
「そうだよねぇ。やっぱりやめる。あぁ、この世の中が女だけだったら、甘い物を食べたい放題食べてやるのに!」
 一人だけ太りたくない、そんな気持ちが甘い物への誘惑を断ち切るのだ。
「女だけだったら、ぶくぶくになってもいいってこと?」
 とまた別の誰かが言い、そのことについて再び長いおしゃべりが始まったのだった。
 たとえ世の中が女ばかりになったとしても、だらしなくなってしまうのはヤダなあ……と私は思ったけれど、もし実際にそうなったらどうだろうか。手入れを怠ってカサカサになった肌やぼうぼうの眉毛を見ても眉をひそめる人はもういない。スカートの中を気にする人はいないのである。じゃあ、何が歯止めをかけるのだろう、と。
 そんなふうに迷ったのは、外見を整えることを自分自身のためではなく、誰かに愛されるためだと無意識に思っていたからだろう。
 たとえば二十代の頃なら、少しくらい太ってしまっても私は私自身でいることができた。彼に嫌われないようにしなくちゃ、と慌ててダイエットする。それでよかった。
 今、私は自分の身体が変わってしまうことに恐怖にも近い想いを抱いている。当たり前のようにそこにあったものが変わってしまうことは、私が私でなくなってしまうように感じるからだ。だから、今は誰のためにでもなく、私は自分自身のためにダイエットをするのである。もちろん、年齢を重ねることによって滲み出る美しさがあることは分かっている。これは私のあまりにも頑なな想いなのだ。
 ずーっと変わりたくない。そう思うのは、きっと私が子供だからなのだろう。修学旅行の夜みたいな日々をずっと過ごしたいと思っている。そんなことはあり得ないだろうか? そうかもしれない。でももう少しだけ、そんなふうに思っていたいのである。
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