2004年4月1日 エビヌマタイスケ

二人は音楽を日常、身近に携えてるわけなんだけど
俺個人としては、
良いロックンロールを聴くことで(まぁ、どんな表現でも必ず核があるわけなんだけどさ)
その根底に流れている、
"愛情"だとか、親しい人への"尊敬"だとか、"慈悲"だとか
そういう人が本来もっている感覚を共有できるということが最大の喜びだと思うんだ。
ライブパフォーマンスなんか、まさに、その究極の形だと思うわけでさ。
現状を認識する感覚を麻痺させるツールとしての音楽、という"現状逃避"としての
エセヒーリングミュージックもどきに惑わされることなく、
(それだと、音楽が終わった瞬間に、自分をとりまく現実は何も変わらずそこにあるままなわけでさ)
3分間の曲の中にこめられている凝縮されたものを、どう残りの23時間57分
(まぁ睡眠時間があるから半分としても12時間57分)にフィードバックしていくかってところだな。
日常生活の中では
いつも、唄ってたり、好きなレコード聴いたりしてるわけじゃないし、
HiROだって、いっつもギターもってる訳じゃないじゃん。
でも、自分達が望んでいる日常を手にする権利は誰からも奪われずに、"いつも"そこにあるわけで、
要はそれを、使うか使わないかを決めているのは、だれあろう、自分自身なんだよね。
だから、
"幸せであるように"(ってこれじゃフライングキッズか)
"幸せになろうよ"(ってこれじゃ長渕剛だ(苦笑)
っていうか"Be happy!"(おおっつながったじゃん(嬉笑)っていう全世界共通のテーマを
個人が意識的に実現できるような、啓示に満ちた"人生のサウンドトラック"として。だな。
BGMじゃなくってさ。
そういうとらえかたで、
これからも、ロックンロールやブルースとつきあっていきたいと思うんだ。
表現としても、方法はもう無限にあるわけで、10の絶望を表現しても、そこから受け手が
1つでも、希望や、なんらかのきっかけを見出せれば、いいと思うんだ。
作者のスピリットがうまくつたわった作品が、自然と受け手を動かして、世界に受け入れられていく
っていう、言葉にしてしまうとごく当たり前のことなのかもしれないけど
現実、コマーシャルベースじゃそうじゃないじゃん。だから、
自分の中で"良貨"を選びとる、審美眼は、
日々、磨きをかけて、錆び付かせないようにしていたいと思うぜ。

今月の一枚
Eric Clapton"Me and Mr Johnson"(2004)

 決して明るい内容ではないのに。。。毒を盛られたウィスキーのグラスではなく、安価だが優雅な味のするワインを思い浮かべた。
 今まで悪魔的に(おどろおどろしく)語られる事の多かった、ロバートジョンソンの曲を演っているのに、気心の知れた友人との会話を楽しむようなリラックスした、とても幸福な感じがする。
クラプトン個人が、自己と向き合うことによって、完成した作品だと思う。(HiRO)

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