I'M HERE home

Fish In The Gas 松慎一郎

 

 ごゆっくりどうぞと迎えられた僕達のコーヒーカップやビールの空き缶をウェイターが断りなしにガチャガチャいわせて片付け、僕達は長居した店を笑顔で追い出される。黄昏れゆく街の中、黒いフェルトの上でアクセサリーや絵を売る外人達が落書きだらけのポストの前で腰を落としている。僕達は『日本開運センター』と黄金の看板が掲げられたビルの前、道玄坂を下っている。立ち並ぶビルに切り取られ、奥行きをなくした空。誰もがそれぞれの胸に秘めた夢を自由に描く筈のそんな青空に、僕達はまだ遠く届かなかった。
 駅前広場のジャンボトロンから型から打ち抜かれていくように大量生産されるラヴソング。ポルシェの助手席に花束を寝かせた男はスウェードのハイヒールを履いた若い女に手を振り、花束を取り出す。女は歓声を上げて走り寄る。一定のリズムで男性用かつらとスタミナドリンクの広告、今日の平均株価をモノクロのサインボードがカシャッ、カシャッと順番に表示する。巨大なスクランブル交差点の群衆は信号が青に変わると同時にスタートを切る競馬馬のように一斉に蠢き、ゼブラゾーンを侵す。群衆は規則正しいリズムで足を運ぶ。僕達の足取りはスウィングしている。
僕はペットショップの水槽に映った、少し猫背で両手をポケットに突っ込み、くわえ煙草で歩いている自分に立ち止まる。
皆が馬鹿笑いする中、僕は独り振り返り、ビルの谷間に落ちてゆく真っ赤な夕陽を見た。
僕の前をアキラがジーンズのポケットに片手を突っ込み、立ち食い蕎麦屋から流れるジャズに合わせて鼻歌で、歩いている。
僕はアキラの背中を真っ赤に焼く夕陽を、この街を一瞬のうちに焼き尽くす巨大な爆弾のように思った。僕は水槽に映った、交差点で立ち止まる僕の身体を通り過ぎてゆく影のような群像が、街に落ちる巨大な夕陽に焼けてゆくのを想像した。ポストカードのニューヨーク、ダウンタウンのアパートのようにべったりと白いペンキが塗られた壁が、埃に灼けて色褪せたバー・ルーム。この店の程よく配置されたジュークボックスとビリヤード台は、外国に行った事はおろか、飛行機にすら乗った事がない僕のお気に入りだ。
「今、東京が一番面白い」とか話しながらスコッチを飲む、DCブランドの大人たちに囲まれている僕と同じくらいの歳の、アディダス・ジャージの高校生を見ていると、花岡が「ストーンズだって色んな連中と付き合いがあってビッグになったんだぜ。お前も積極的に行けよ」と言った。
「おまえさ、さっきみたいにユウジに文句言うのダメだよ」と僕は勝手に花岡のジョッキに残っていたビールを飲み干す。
「マサヒロもそんなような事言って夜中の三時に電話掛けてきやがってさ、あいつ気が狂いそうに心配してんだよ」と花岡は苛々吐き捨て、僕の煙草の煙に顔を歪める。
「ユウジ、最近、不安定だもんな」
「滅茶苦茶だよ、バイト先で社員の奴、殴ってクビになったかと思えば、たかが女に捨てられただけで他人の目も気にしないで泣き喚いたりして、訳わかんないよ。プライドが高すぎんだろう?」と花岡は酔いが回って饒舌になり始めたユウジを肩越しに親指で指差し、「おまえもあいつみたいになるなよ」と一人で笑った。
「おまえ、ユウジの事、嫌いなのか?」
「わかんない。おれには理解出来ないからな、あいつは」
 側にいる僕たちを意識してか、若造りの大人たちが思わせぶりに"ゲイ、ハード・ドラッグ、ニューヨークの黒人たち…"とか話し始める。
話したければ声をかければいいのに、とか思っていると、彼らの中に居たアディダス・ジャージの高校生が突然、弾かれたように立ち上がって、何度も頭を下げ始めた。
彼が頭を下げた店の入り口にはこの店のスター、『経堂のアンディ・ウォーホル』、ナントカクリエーターのマツモトが居た。マツモトは今夜も十六歳にしてディスコクイーンだという自慢の彼女を連れて、見慣れない顔を横目に常連達と大声で挨拶を交わし、僕たちに声を掛ける。
「何か良い事ない?」
 「何か面白い事ない?」とか「良い事ないかな…」という言葉は誰が決めた訳ではないけど、僕達の間では禁句になっているんだ。
ブランド高校に通っている訳でも親が会社を持っている訳でもなく、カラオケにも部活にも合コンにも夢中になれず、勉強嫌いでカネもない、退屈しきった僕達にそうそう良い事なんてある訳ないしね。
何一つ変わる事なく繰り返される一日一日をそんな風に腐りきって暮らしていると、その手の言葉を口にしちゃいけないって学習するんだよ。
誰かが「何か良い事ないかな……」とか口にした途端、なんでかわからないけど、みんな、肩をがっくりと落としちまうんだな。
これは僕達だけかもしれないけど。
 「なんだよ、おまえら、若いのにシケてんなあ、ぱあっとした事なんかねえのか?」とマツモトがもう一度聞くと、花岡はわかったよ…という口調で、「そうねえ…あっタナカに彼女ができた」と言った。
マツモトは「へえーっ、歳いくつ? 何やってんの? 学生?」とマサヒロに聞いて一度振り返り、カクテルを作っているマスターに、『レッド・ホット』かけて!! と叫ぶ。
 マツモトの彼女はマサヒロのトイレに誘うサインを無視して席に着くと、僕たちと同じ高校生と思えないような大人びた仕草で脚を組む。
タナカはまるで彼女の存在に気付いていないような顔でラッキーストライクの袋を軽くはじいて、
くわえる。
彼女は赤いマニキュアが塗られた人差し指で大きなシャネルのイヤリングをアピールするようにワンレングスの長い髪を後ろに流した。
「じゃあ彼女いないのはオマエだけじゃん」とマツモトが僕を指さし、アキラがテキーラを思い切り吹き出すと、ノミがたかった猿みたいにみんながのたうち回って笑い転げる。気取ったマツモトの彼女も盛大に笑ったねぇ、頭が吹っ飛んだかと思う程。
僕が吸っていた煙草をマツモトに投げつけると、「なに切れてんだよ、冗談だろ?」 とタナカは涙を拭って僕の肩を叩く。
確かにどうでもいいっちゃー、どうでもいい事で、俺はおまえらよりも下でも上でもないってわからせようと思っただけなんだけど、煙草を投げつけたのはそれが言葉にならなかったから、なんだな。

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