I'M HERE home

Fish In The Gas 松慎一郎

 

  読みかけの『路上』を開いたものの二分ともたず、火を点けたばかりの煙草を灰皿で押し潰して本を閉じた僕にタナカが話しかける。
「売れっ子だかなんだか知らねえけどさ、オレはアイツになりたかねえな、オレもそんな大したもんじゃないけどさ」
「だからさぁ…オレ達でスウィンギン・ロンドンみたいな動きを東京に起こしましょうよ、マツモトさんと話しているとなんか新しい事がやれる気がするんですよね。これからはオレ達の時代……」とアキラは心にも無い事を言いながら二十八歳のマツモトのボトルを次々と空け続け、他になにか、かっぱらえるモノはないか、と目を走らせている。
漢字で『冷蔵庫』って書けなくても、アキラは凄く頭が切れる奴なんだ。
「今日、何のテープ持ってる?」とタナカ。
僕はコースターズ、と答えてサングラスを掛ける。
「そっか…帰りに聴いていきたいから貸してよ」
「別に良いけど、オレが帰りに聴いてくヤツが無くなっちまうからさ」
エディ・テーラー、貸すよ」とタナカはいつも通り、羨ましくなる位、美味しそうにプリモを飲み干した。何をやってもうまくいく、タナカはそんな風に見えるタイプなんだな。
だから僕は、タナカのエディ・テーラーとコースターズを交換したんだ。
 店に流れる、気楽なジャズグルーヴと、全身に廻り始めた酔いにのせられ、笑いが止まらなくなってきた僕の隣に、今年で四十一になるサエキが、よっこらしょと言って座った。
 サエキは代官山で小さな古着屋をやっていて、僕の知らない、有名スタイリストの誰々は俺が育てた、みたいな話が大好きで、酔っぱらうといつも、九州の高校を卒業して鞄一つで上京した事、寒い夜はジーパンを二枚重ねて履いて寝た事を話し、腰が立たなくなるまで酔っ払うと必ず、十七の僕達を風俗に誘う。もう、うんざりかな? でもここは本当にこの手の人間が集まる店だったんだよ。でも、サエキはそんなにイヤな奴じゃないんだぜ。
 「若い頃のエルヴィスみたいじゃん」と、サエキは僕の古着のジャケットを指差し、僕のジャケットのポケットに小さなビニール袋を押し込む。
僕は壁に飾ってあるギターを手に取って、エディ・テイラーとビニール袋で膨らんだジャケットのポケットを顎でしゃくりながら、お礼にサエキの好きなブルースを歌う。
『何処かへ行きたいけど、オレの洋服がマッチ箱に収まるか心配だ…』
さっきから沢山のコップをくるくる磨いてはカウンターに並べていたマスターが仕事の手を止めて、豹柄のベストから煙草を取り出す。
マスターはブルースに目を細めて青い煙を吐き、音のしない拍手をした。
「オマエ、元気だな、カネねえんだろ? ビール飲めよ」と言って童顔なサエキは、ライムの入ったコロナを二つ頼む。
「おごって貰ってばかりでなんか悪いね」と僕は倒れないようにギターをそっと壁に戻した。
「楽しいんだから良いんだよ。バンド、うまくいってんのか?」とサエキはまるで父親のように聞いて、僕のマールボロを一本、抜き取った。
「今度の土曜、インクスティックのパーティーに出るからさ、一度くらい来てよ」
リー・ドーシーやれよ、そしたら行ってもいいなぁ…オレ、九州でバンドでやっていた時、『ヤ・ヤ』をやっていたんだ」
ピンボールマシンの前でビール瓶片手に馬鹿騒ぎしている皆の方を見ながら、考えとくよ…と答えると、サエキは名残り惜しむような眼差しで、膨らんだ僕のポケットを見つめる。
「1パケあるからさ、皆で楽しめよ…オマエが幾つまで生きるつもりか知らねえけど若い内はさ…」
ジュークボックスのミラクルズに合わせて、ミック・ジャガーの真似をして身体をくねらすアキラに店中に爆笑が起こる。
マツモトの彼女から電話番号を聞き出しているマサヒロの側で、酔い潰れて人形のように壁に凭れ、どこか一点を見つめているユウジを見ていると、 「今度はもっと良いのをおごるからリー・ドーシーを頼むぜ、『ヤ・ヤ』が聴きたいんだ」と言ってサエキは出て行った。
ポケットの中の、サエキがくれた小さなビニール袋には、モノの見事に枝と種だらけの、安物のGrassがほんのちょびっと入っていた。

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