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君に会いにゆく VOL.2  石川正己
        

 はじめに

 梅雨の季節、あじさいがほんとうにいろいろな色に変化して目を楽しませてくれています。夏まであと少し。今回も神秘的なお話をしたいと思います。もし興味が湧いたなら実際にやってみてください。きっと驚くべき効果が…

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Lesson4「禅に触れてみる 白隠の世界」

 朝、目が醒める。体の何処かしらが痛む。または調子悪くて体が重い。今日は仕事に行くのやめようかなぁ・・・などと思ってベッドからなかなか抜け出せない。誰でもそんな日がたまにはあるかもしれないね。ぼくの場合は大体いつもどこか調子が悪く、どこかが痛んでいる。でも、今では彼を手なずける要領を心得たものだ。それは、呼吸とストレッチとイメージ療法を組み合わせたものによって。話があぶないかな? でも、大まじめに始めたいと思います。最後までおつきあいくださいね。

 白隠禅師という方をご存じですか。ぼくが敬愛する江戸時代のお坊さんなんだけど。あまり聞き慣れない名前かもしれないので、ちょっと紹介させてください。

白隠自画像



 白隠慧鶴禅師(幼名:長沢岩次郎)、1685年、今から300年以上前の江戸中期に駿河の国の原宿、今の静岡県沼津市原の出生。彼は、「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」と地元はもとより全国的に讃えられたほどの僧侶であり、臨済禅中興の祖である。
 でも、彼は死ぬまで紫衣や金襴の袈裟などとは無縁の平僧として生きたのだった。その時代は、かつて生き生きとしていた仏教が政治、官僚制度体制に取り込まれ、腐敗していて、寺の派閥、いかに絢爛豪華な寺社を建立するか、財産の拡張、王侯貴族に近づくということに汲々としていたのだ。彼は、形式的で貴族的に陥ってしまった禅というものを民衆のもとに素朴な禅として取り戻したのだった。
 そんな白隠を慕って、全国各地から若者たちが集まり、彼のいる質素な寺やその周辺に寝泊まりし、禅の悟りを求め修行に励んだ。そしてあの良寛にも影響を与えたということだ。



 ぼくがどうして彼に惹かれるようになったかというと・・・。いろいろなことが重なって、家でごろごろしていた時期があって、かなりへばっていたときがあったんだ。心身共に。あれは、92年頃だな。こんなことを書くと弱くて暗い奴だって思われるかもしれないけどね、ぼくは、その頃ほんとうに鬱状態に陥っていて、腰の痛みは断続的に続くし、微熱が取れなくてめまいがするし、なんとかがんばってなにかすると具合が悪くなるしで、とにかく何もする気がしなくて最低だった。自己嫌悪の固まり。ときには息が出来なくなり、目の前が真っ暗になって倒れたりしてた。自律神経失調症ってやつだ。
 そして、兄が勧めてくれた栗田勇著「謎の禅師白隠の読み方 息によって心身を養う夜船閑話(やせんかんな)の知恵」(詳伝社刊)を読んだのがきっかけで白隠に興味を持ったんだ。  そこには、修行の果てに肺結核、強度のノイローゼ、心身症のような症状に陥った白隠自らが悩み、進退窮まったこと、そしてそんな状況の中で彼が体得したことをわかりやすく解説、紹介してあった。



 禅の修行に一心不乱に取り組んでいると「禅病」という得体の知れない一種独特な症状に取り憑かれることがあるという。白隠を慕って全国から集まった若き修行僧もその禅病に取り憑かれてばたばたと倒れていく。そして、死に至ることも・・・。白隠は彼らのためにまた民衆のために「夜船閑話」という書を著した。「夜船の中で過ごしている閑なときにした無駄話」という変な題みたいなのだけど、彼独特のユーモアなのか一種の照れなのかもしれないな。彼の死の10年前、73歳の時の健康法、養生訓の書なんだ。
 というまるでじじ臭いHOW TO本のような・・・でも、それは単なる技術ではなくて東洋5000年の歴史に基づく禅の境地に至る実践法でもあったのだ。白隠自身は26歳の時、この「夜船閑話」に書かれている秘術を京都比叡山の麓、白川の山中の岩窟に隠れ住んでいたとされる白幽仙人という仙人に教えを請い、授かったという。それからは実践に実践を重ねて体得したのだろう。白隠は、厳しく純粋に禅を求めながらもこれをほんとうに苦しんでいる人や後から来る者たちにやさしく平易に伝えたかったのだ。それは仏教の枠にはとどまらず神道、道教、山岳信仰、修験道にもつながる面白いストーリーとして。



 ところで、白隠の活躍した静岡の地というとぼくの母の故郷でもあり、幼い頃には夏休みになると必ず遊びに行ったところで、祖母やいとこ達と遊んだ懐かしいところ。いわゆる田舎ってやつ。やさしかった祖母も亡くなり、今ではお墓参りの時くらいしか行かなくなってしまったけど、2年前のある暑い夏の日、ぼくは白隠禅師に会いに静岡県沼津市原にある松蔭寺に行ってみたんだ。

夏の日差しがまぶしいJR原駅     白隠生誕の地の石碑         白隠のお墓(中央)

原は、東海道五十三次の「原宿」という宿場町だったそうだ。街道沿いの町並みにその名残が残っている気がしたよ。とても暑い日だったけれど、松蔭寺の境内はしんとしていて、禅堂をのぞくと大きな太鼓が置いてあった。今でも毎朝座禅会があるらしい。それから、白隠禅師のお墓参り。ぼくは、どうもありがとうございますとお礼を言った。彼にお墓の周りには、夥しい数の卵塔(お墓)が並んでいた。それらは、白隠を慕ってこの地に来て修行の果てに命を落としていった弟子達のものだという。ぼくは感動した。「夜船閑話」という書物は、白隠だけではない、多くの人々の意志の結晶でもあるということだ。



『夜船閑話』を読む
---内観法 軟蘇の法の解説と実践---
夜船閑話には、二つの秘法が書かれている。
 そのひとつは、「内観の法」というものだ。己の内側を観るのだ。といってもあまり難しく考えずに、もっと動物的にやってみる。
 そう、ちょうど猫とかがやる伸びの姿勢のようなもの。よく寝ていて起きるときにやるでしょう? おもいっきり伸びて四肢を突っ張るしぐさ。この伸びをするっていうのは、実はみんな仕事とかで疲れたときなんかにも自然とやっていることなんだよね。きっと無意識のうちに滞った血液の流れをよくするためにやっていること。

「内観の法」
1. ベッドの上で仰向けになったまま、手足を思い切り伸ばす。
2. それから、一気に力を抜く。脱力。
3. これを繰り返しながら呼吸に意識を集中する。吸うとき生まれ、吐くとき死ぬということをイメージする。これは一遍上人も言っていることで興味深い。
そしてこのイメージを繰り返す。いったいこの自分は誰なんだ? と。
あるいは鼻から入ってきた空気は、宇宙の気そのもので、身体を満たしそしてまた流れているというようなイメージ。気をおへその下(臍下丹田せいかたんでん)から腰、足から足の裏に流していく。緩やかな呼吸・・・
そう、呼吸っていうのは大事なんだ。よく腹式呼吸が大事っていうでしょ。武道では、足の裏で呼吸しなさいって言うんだそうだ。

 たったこれだけ。なんだそれだけ? と思うかもしれないけれど。
 そうするとぼくの場合は数分で身体中に血液と気が滞りなく流れていくのが実感できる。手足の先も温かくなる。痛みも和らぐのだ。以前に比べるとものすごく気力、体力ともに充実している。これは冷え性の人にもお勧め。寝る前と朝起きたときにやるといいと思う。

  「はじめのうちは効果がないかもしれない。しかし、このようにやってみて2〜3週間すれば、五臓六腑の病、神経衰弱、全身疲労などは底を払ってなくなるはずである。そして、もし治らなければ、老僧の頭を持ち去れ。この首をやってもいいぞ・・・。」
 なんだかものすごい言い切り方だよね。白隠はこの内観の法についてこうまで言い切っているから驚きというか頼もしいかぎりだ。そこまで言うんなら、やってみようかっていう気にもなる。

 それからもう一つは、「軟酥の法」(なんそのほう)だ。
 これはもろイメージ療法だ。
 「軟酥の法」とは何か。「軟」は、柔らかいという意味。「酥」とは、牛や羊のミルクを集めて、それを発酵させて煮詰めたもので、今でいうチーズとか煉乳、ヨーグルトみたいなものを指すそうです。

「軟酥の法」
1. 鴨の卵くらいの大きさ(鶏の卵より少し大きいくらい) の「軟酥」を頭の上に載せたようにイメージ
しなさい。
2. やがてその何ともいえないいい匂いと味が少しずつ溶けだして頭を潤し身体をつたわり下りてくる。
3. 匂いも味も素晴らしく、心から清められるようだ。
4. それが両肩、腕、肘、両乳房から胸、肺、肝臓、腸、胃、さらには脊髄から腰骨まで流れ潤してくる。
5. すると五臓六腑の気の滞り、身体の節々の痛みなどは、心に従って降下してくる。それが次第に水が低
いところに向かって流れていくように流れ、その音がするようになる。
6. そうしてこの「軟酥」は全身を巡り、両足を温め、潤し、足の裏の土踏まずの中心に至る。ただただ、
こう想像、イメージしなさい。

 これは座禅みたいに座布団とかに座って背筋を真っ直ぐにしてあぐらをかいてやるといい。音楽をかけながらやってもいいと思う。
 これは匂いと味というところがミソだと思うんだけど。そしてそれが身体全体を包み潤してくれるというところがいいんだ。もしかしたら母親の羊水の中もこんな感じなのかも・・・。遠い記憶を思い出すのかな。お風呂に入るとリラックスできてとても気持ちいいっていうのも根元は同じような気がするな。
 華厳経では、「一切唯心所現(いっさいゆいしんしょげん)」、一切のものは、心によって現れるということをいうそうだ。これもそんな感じかな。想像するっていうことは、すごく大事だと思うよ。


松蔭寺境内にて


 きっと頭でわかったつもりでも体力や精神力で何とか凌いだつもりでも、そんなものは何の役には立たないってことにぶち当たるんだ。生きているときも、まさにこれから死んでいこうとしている者にとっても、本当は何が糧になるのか・・・。がんばればがんばるほど泥沼にはまるように地獄に堕ちていく。生きるとは、癒しとは何なのか。どこに向かって歩いていけばいいのか。辛い状況の中そんなことを考えるとき、白隠さんは何かヒントのようなものを提示してくれると思う。
 体と心は別々じゃあないんだ。森羅万象、本来一つのものなんだ。それらを一つにたらしめているもの。それは「呼吸」なんだ。「気」は宇宙に偏在していて、ぼくたちの呼吸、皮膚、身体を通して流通している。それを吸ったり吐いたりしている。なんて愉快で喜ばしいことなんだ。彼は心からそう言いたかったのではないだろうか。

なさけあるもつらきも遠くなりはてぬ 嬉しやよその山はたずねじ  白隠



□ ぼくのお勧め書籍 □
  • 「謎の禅師 白隠の読み方」栗田勇著 詳伝社ノン・ブック
  • 「白隠禅師法語全集 第4冊 夜船閑話」 訳注・芳澤勝弘 禅文化研究所
  • 「タオ -老子-」加島祥造著 筑摩書房


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