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《私》って誰なんだと、
自我を問う文学への訣別


「この小説は僕が書いた初めてのSF、初めての本格的エンターテインメントです」と山川健一さんは語る。デビューして四半世紀、一貫して純文学的作品を書いてきた山川さんが、なぜいまSFに挑むのか。
「僕ら2001年に生きている人間は、等しく二つに引き裂かれていると思うんだよね。たとえば《愛情》という言葉が理知的な《愛》とドメスティックな《情》に引き裂かれているように」
 現代の小説もまた二つに引き裂かれていると山川さんはいう。「私とは何か?」と自我を問い続ける《文学》と、そうではない《物語》とに。
「僕も20代の前半でデビューして以来、その《私》っていうものをずいぶん見つめてきたつもりだけども、ふと気がつくと、そこにあるのはつまんないおじさんだけだよ(笑)。それで、《私》なんてものはないんだということを、ものすごく意識するようになった。《私》なんてないんだということを前提に語られるのが《物語》だよね」
 いま山川さんがエンターテインメントに挑むのは、なんとか小説に物語性を回復させたいと考えているからだ。

バイオテクノロジーによって崩れた
《唯一無二の私》という概念


《私》なんてない、と考え始めたとき山川さんが出会ったのが、最先端のバイオテクノロジーがはらむ問題だった。
「アメリカでは、すでに遺伝子改変された赤ちゃんが30人誕生しているし、イタリアの医師は人間のクローン作りも計画しているんだよ」
まったく同じDNA配列を持った人間を人為的に作れるようになったとき、《唯一無二の私》という概念は崩れる。しかも、それがけっして夢物語ではなく、もしかするとすでに現実のものとなっているかもしれないという事実に愕然せずにはいられない。
 いま、人間=ホモ・サピエンスの、種としての分化が始まったのだと山川さんはいう。
「僕はコンピュータやインターネットに夢中になるなかで、いま我々は大きな転換期に立っていて、何年か後には劇的に変わるんだと思っていた。ところがDNAの問題を調べていくと、ああ人類はもう最終コーナーを回っちゃったんだ、と思った」
 種を分け隔てるのは生殖の可能性だ。人間はチンパンジーとセックスできるかもしれないけれども、両者のあいだに子供は生まれない。ところが、バイオテクノロジーによって誕生する人々は、性行為なしで存在する。それはすでにホモ・サピエンスとは違う種の誕生だといえるのではないか。
 それだけではない。バイオテクノロジーの急激な進歩とシンクロするように、生殖能力の危機が来ている。
「いま人間の精子の数が減少しているって、よく週刊誌なんかでも報じられたりするよね。しかし調べてみると、状況はそんな甘いものじゃなくて、性器異常にまで来ている。ものすごく小さなペニスしか持っていない男性が増えている。それは人間がまき散らした化学物質が原因だよね。セックスしても相手を満足させられない、セックスできても子供を作れない。ついに人間は生殖能力を失ってきた。精子の数はある一定の量を割り込むと、パタッと妊娠しなくなる。だから3年後にパタッと子どもが産まれてこなくなることだってあり得るんだよ」
 新聞やテレビがこの件に関してあまり報道しないのは、それによって引き起こされる社会不安がはかりしれないからだ、と山川さんはいう。

ジーンリッチと
人工生命が孕む問題


 遺伝情報をデザインされたジーンリッチたちは、はたして私たちとは無縁のミュータントなのか。いや、そうではない。
「ジーンリッチというのは、いまの若い世代のメタファーになっている。遺伝子操作はされていないけれども、いまの若い世代の、自我の不確かさ、存在感の希薄さ。あるいは、非常に優秀であるがために差別される人達がいるという社会の構造。それはジーンリッチでなくても、すでにそうなんだよ」
 遺伝子工学とともに、もうひとつこの小説のテーマになっているのが人工生命の問題だ。コンピュータの中に棲むオウムのパロというキャラクターが登場する。
「サイバースペースに物理的な空間はなく、目に見えないオンとオフの情報があるだけだよね。でもその中にウィルスやゲームのモンスターがいる。生命と生命じゃないものを見分けるのは簡単だけど、それを定義しようとする非常に困難になる。僕らは人工生命と呼ばれるコンピューター上の生き物を、あれは生命じゃないと言い切ることができるだろうか」
 400字詰め原稿用紙に換算して912枚。この大長編を山川さんは3か月で書き上げた。初台の仕事場にこもり、ほとんど外出もせず、誰にも会うことなく、ひたすらマッキントッシュの画面に向かい、キーボードを叩き続けた。肉体的にはハードだったけれども、ロールプレイングゲームをやっているような楽しさがあったと山川さんはいう。
「書いていてこんなに幸福だった小説は初めてだよね。912枚を書くのがぜんぜん苦じゃなかった。もう続編の冒頭だって考えたよ」
 ライバルは『ファイナルファンタジー』シリーズだと山川さんは笑う。『ジーンリッチの復讐』を脱稿後、『FF X』を全クリアした。
 この小説には恐ろしい話、おぞましい未来がたくさん詰まっている。しかし、希望もたくさん詰まっている。最後の1ページを読み終えたとき、前向きな気分になれる物語である。
「こんなに悲惨なんだぞ、希望なんてないんだぞっていうのは簡単で、でも物語ってそれじゃダメだと思うんだよね。希望というのが一筋ないと。物語としてはまだまだ序章みたいなもの。これ1冊でぜんぶの問題を解決したとは思わない」
 壮大な物語が始まった。


『ジーンリッチの復讐』(メディアファクトリー 1600円 )
主人公の裕之は18歳。きわめて優秀なジーンリッチ(遺伝子改良種)である彼は、高校を中退してソフトハウスを設立。同世代の仲間たちと高度なゲームやOSを作っている。そんな彼らが1通のメールをきっかけに、世間を騒がせているサイバー・テロリストと対決することになった。しかし、事件を追えば追うほど、ジーンリッチたちは「私」とは何かという問いにつきまとわれるようになる。裕之の「私」は見つかるのか。


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