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※このインタビューは文学メールビジョンに連載されたものを転載しました。

第1回 癒しの感覚が生まれるまで


──本書は『ニュースキャスター』以来、3年ぶりの書き下ろし長編小説ですね。

 そうだね。3年か。あっという間だな。だけど、コツコツ書いてる身には、これがすごく長く感じられるんだよね。あー、長かった!

──新聞広告に大きく「山川健一は変わった!」というコピーがありましたが、どのように変化したのか、ご自分で認識してらっしゃいますか?

 いや、あんまり。あのコピーは幻冬舎の見城徹氏が考えてくれたもので、「あ、俺って変わったの?」って、そんな感じ。彼はぼくのプロデューサーみたいな人で、ぼく以上にぼくの小説のこと、わかってくれてるところがあるからね。でも本人自身は変わらないと思うよ。作品世界はドラスティックに変わったのかもしれないけど。

──過去の作品はエンターテインメント性よりは文学性の高い小説が多かったと思うのですが、本書のような殺人事件や失踪などがからむミステリータッチの作品は初めてですよね?

 いわゆる純文学ってやつでしょう? でも、デビュー当時からさ、ぼくはいわゆる純文学ってものの枠からはハミ出していたと思うよ。と言うか、どこへ行ってもハミ出しちゃうんだよね……。
 青春ってものを書くと、詩でも小説でも、なんでもかんでも純文学になるんだよ。でも大切なのは、その困難な青春ってものを乗り越えて1日も早く大人になり、世界ってものを本気で抱きしめるってことなんだと思うな。エンターテインメントを書くってことは、その世界ってものに右手を差し出し、握手を求めるってことで、そこに癒しの感覚が生まれるような気がする。そしてね、大人の人生ってものは、どんなに平凡でもミステリアスなものだよ。ところで、これは本気で悩んでるというか心配してるんだけど、『歓喜の歌』って、エンターテインメントになってるかね? マジで聞きたいんだけど。


──はい、そう思います。でも、『歓喜の歌』の主人公の高村康之も、ヒロインの沢口沙希も、これまでの山川健一ワールドの主人公達の面影がありますよね。

 前作の『ニュースキャスター』、その前の『安息の地』の時は、必死で世界を作り上げたって記憶があるんだよね。でも『歓喜の歌』は『水晶の夜』や『ロックス』と同じで、頭のなかや魂の奥にあることを素直に書いたんだ。

──私が『歓喜の歌』がエンターテインメントになっているというか、癒しがあると思うのは、最後の章があるからなんです。エピローグの「歓喜の歌鳴りやまず」は、『水晶の夜』や『ロックス』にはなかった部分ですから。

 ああ、なるほどねえ。そういうことか。あのエピローグが『歓喜の歌』をエンターテインメントとして成立させてる、と。そういうこと?

──私の個人的な意見ですが。

 いや、誰かに言ってもらわないと気がつかないことって多いからさ。と言うことは、ぼくは『歓喜の歌』を3年で書いたと思ってるけど、あのエピローグに辿り着くためには膨大な時間が費やされてるってことだよね。

──一抹の感慨がありますか(笑)?

 まあね。無駄な10年ではなかったな、と自分を慰めることにするよ。

第2回 魂を触れ合わせるセックス


──本書ではどのような点で苦労されましたか? 逆に執筆していて楽しかった点は何ですか?

 いちばん苦労したのは……こんな種明かしをすると読者の皆さんは鼻白んでしまうかもしれないけど、5年前の事件を現在のストーリィにどう挿入していくかという、構成上の問題かな。当初は、主人公の高村康之が事件のあった札幌へ行って、さまざまな人に会って謎を解き明かしていく、という方法を考えてたんだ。
 でも、それじゃあ普通のミステリーのように謎解きの方に力点が置かれてしまって、肝心の高村沙希の心のなかに降りて行けなくなってしまう、と気がついたんだ。
 それで、無愛想に、ただ挿入する、という方法を採用することにした。そこに至るまでは、ずいぶん頭を悩ませました。
 楽しかったことは……そうだな、ぼくは男なので、ストーリィがすすむうちに主人公の高村康之の気分になって、沢口沙希という女性にある種の恋愛感情を抱いていったってことかな。疑似恋愛みたいなものかもしれないけど。


──作者である山川さんにとって、彼女は理想の女性ですか?

 理想というか、ああいう女の人がいたら守ってあげたいと思うんじゃないかな。
 もちろん、現実的にはそんなことは無理で、やはり彼女を守れるのは高村康之ただ1人だろうけどさ。


──クレジットカード会社の内実がとてもよく描かれているのですが、取材はされましたか?

 取材には、ものすごく時間がかかってるよ。ただ、じつはぼくは、大学卒業してから2年間だけど、クレジットカード会社でサラリーマンをやってたんだよね。だから、とてもよく知っている世界ではあるんです。カード会社って一見華やかだけど、それだけではないからさ。人生の縮図みたいなものを目の当たりにすることもあったし。

──“性器異常”がテーマの一つになっていますが、このことを扱おうと思ったきっかけはありますか?

 ある時に、小学校に通う男の子をもつお母さんに、「最近の小学生は……」という話を聞いたんだよね。ペニスが未成熟な男子がけっこういるんだ、という話を。その時は「へえ、環境ホルモンのせいかな」ぐらいにしか考えなかったんだけど、そのうちに女友達の何人かから、そういう問題で恋愛が破綻したという話を聞くようになったんです。
 女の子達が何人かで飲むと、かなりの確率でそういう相手とつき合った経験のある子がいる、という話を聞いてさ。あまりにもプライベートなことなのでそういう調査データはないだろうし、誰も積極的に話したい内容じゃないから、あんまりオープンにはなってないけど、これは深刻な問題だなと思うようになってね。


──若い女性や男性に取材し性をめぐる体験談を聞いた、と「あとがき」にありましたが、その際にはどんなことを思われましたか?

 真夜中のハンバーガーショップとかで、最初は若い女の子に話を聞くわけだよね。店内は夜なのに異常な明るさで、ラップとか流れてて、ケロッとした顔で話してくれる子もいれば涙ぐむ子もいてね。
 でも、女の子が相手のほうが話は聞きやすかったな。
 男の人の取材は、最初は世間話から入るわけだけど、冗談言って相手をなごませて、それからは聞きずらいこともストレートにどんどん聞いたよ。額に汗を滲ませて、それを拭きながら丁寧に対応して下さった方がいて、忘れられないな。
 そういう皆さんのお陰で『歓喜の歌』の歌を書くことができたわけで、だからすごく大勢の人達に感謝してる。ぼくは作者として一応署名はしてるけど、この小説はやっぱり時代の子供なんだと思います。


──現代の“愛”と“性”の問題について、山川さんのご意見を聞かせてください。

 渋谷あたりで遊んでいる若い人達って、けっこう合法ドラッグとかやってるでしょう。でも、今の日本でいちばん有名で売れてる合法ドラッグって、バイアグラじゃないかと思うんだよね。きっと、人間が生命体としてって言うか、オスとかメスとしてって言うか、自信をなくしてるんだと思うんだ。
 男なら、勃起しないという不安。女なら、自分は不感症なんじゃないかっていう不安。「勃起不全・不感症症候群」に、大勢の男女が冒されてるんじゃないかと思うね。だからバイアグラ飲んだり、女の子がアダルトビデオ見て感じる演技の練習したりさ。
 でもセックスって、勃起させて挿入して大声出して……って、それだけじゃないはずだよね? 感情と言うか「気」と言うか、照れ臭いけどこの際言わせてもらうけど、魂を触れ合わせるのがセックスってもののはずでしょう。
 毎日、毎晩、快楽ってものを求めて、違う相手を求めて。それじゃあ、やってもやっても快楽も心の平安も得られないって。
 やっぱり、愛のあるセックスをしないとね。で、それって、もしかしたら高村康之と沙希のように、お互いに肌を触れ合わせているだけでいいかもしれないんだよ。


第3回 ジミー・クリフのように逃げ続ける


──この小説では自己破産や闇金融など現代の“金”の問題についてもリアルに描かれています。同じコインの表側には、このような目を反らしたくなる現実的な事実がある。しかし、もう一方の側には、“愛”が描かれる。だからこそ、登場人物たちの純粋な“愛”が際立ち、貴重なものに思えます。

 アメリカのラムズフェルド国防長官が「テロとの戦いはあと50年は続く」ってテレビで言ってたんだよね。世界は、もう引き返すことのできないコーナーを回ってしまったんだな、と思ったよ。だとしたら、ぼくらも覚悟を決めなければならないんじゃないかな。
 日本経済には残念ながらバイアグラみたいなドラッグはないし、だからぼくらも少しずつ階段を降りて行くと言うか、生活を縮小していく必要があるんだと思う。
 たとえばぼくは、もう新車は買わないって決めたんだよね。女の人なら、1シーズンで買う洋服の枚数を減らすとかさ。去年ので我慢するとか。
 ロックが好きな若い読者の人からさ、会社をリストラになったとか、家賃を滞納しててストーンズのチケットも買えなかった、でも『歓喜の歌』は買いましたとかってメールが届くんだよね。
 そういう人は多いし、今はそうでない多くの人達にとっても、明日は我が身だよね。メガバンクの頭取だって、明日は退職金なしでクビになるかもしれないし、下手すりゃ逮捕されるかもしれないんだからさ。
 そんな時代、何を頼りに生きていけばいいのか。友達や恋人や以外に、頼りにできるものなんてないよね。


──この小説は様々な捉え方ができるだろうし、読後感も様々かとは思いますが、ここに「純愛」を見いだす読者も多いのではないでしょうか?

 そう読んでくれると、ぼくはうれしいよ。

──主人公の台詞に、『この世界は、狂いはじめているんじゃないでしょうか』(本書219頁より)というものがありますが、これは、著者自身の言葉でもあるのですか?

 まあね。911のテロの時には積極的に自分の考えを雑誌やインターネットで発表したのに、イラクとの戦争に関してなぜ黙っているんだ、というお叱りのメールをいただくんだけどさ。「健さん、なにか言ってよ!」みたいな感じでね。
 でも、ぼくに言わせれば、911の時点で今のこの状況って予測できたわけでしょう。世界が否応なく今のこの場所に追い込まれざるを得ないってことは、ちょっと考えればわかることだよね?
 そう、世界は狂ってきてるんだとしか思えないよ。
 そんな時には、方法はふたつしかないというのがぼくの意見なんだ。ボブ・マーリィ方式とジミー・クリフ方式だよ。ボブ・マーリィは立ち上がり、闘う。でも、ぼくはボブ・マーリィのような強い人間じゃないし、相手はブッシュ大統領やラムズフェルド国防長官とその一族だからさ。マジにやったら、自分自身がメチャクチャになっちゃうよ。
 だったら、「ハーダー・ゼイ・カム」のジミー・クリフのように、あるいは言わせてもらえば沢口沙希のように、逃げ続けるしかないと思うんだよね。ぼくは真夜中の部屋に座ってさ、じっと黙ってCNNのニュースを見ていて、スイッチを消してひとつため息をついては、『歓喜の歌』の原稿に向かったんだよね。


──『窓の外を眺めながら、部屋のなかに座っている』という短編集がありましたね。

 そう、そんな感じだった。
 これはいつも言うことだけど、ぼくら1人ひとりがハッピーでいなきゃいけないんだよ。だから自分のサイトも"Be Happy!"って名前にしたんだけど。今日1日をぼくらがハッピーに過ごせれば……それって今はすごく難しいけど、ぼくらの勝ちなんだと思う。


──タイトルの「歓喜の歌」には、何か希望のようなものを感じますが、実際、思い入れがある曲なのでしょうか?

 高校生の頃、女の子に「第9」のコンサートに連れていかれてさ、居眠りしてフラれたことがあるよ。別の子と能を見に行って、そこでも居眠りしてフラれたんだけど(笑)。鼾かいちゃったらしくてさ。2人ともすごく知的な子で、1人はピアニスト、もう1人は弁護士だか外交官だかになったらしいよ。
 それはともかく、ベートーヴェンはすごいよね。ストーンズのキース・リチャーズも好きだって言ってたよ。「歓喜の歌」には、ぼくら人類の希望が込められてるって気がする。今なら、ぼくにもそれがわかるな。人類は生き残る価値のある種族なのか、それとも滅びてしまったほうがいいのか。今、それが試されてる気がする。
 『歓喜の歌』はたかがエンターテインメントだから、ピーナッツでもつまみながら気軽に読んでもらえればそれでいいんだけど、生殖行為ができないってことは子供が生まれてこないってことだからね。「俺達は全員、断崖絶壁に立たされてるんだぜ!」というメッセージを込めたつもりです。でも、きっと希望はあるはずだ、とぼくは信じているけど。


──今後もこのようなエンターテインメント性の高い作品を書かれる予定ですか?

 うん、書くよ。面白くて夜も眠れないってやつを、死ぬまで書き続けるよ。
 "It's only entertainment, but I like it !" だよ。わかるよね? ミック・ジャガーが、そう教えてくれたんだよね。と言うか、小説を書いたり読んだりしてるのが、ぼくはとても好きなんだよ。


『歓喜の歌』(幻冬舎・1500円 )
大手クレジットカード会社の調査部に勤める高村康之は、カードローンなどの未払いの回収に携わっていた。将来を嘱望され昇進目前の高村は、しかし、身体の問題によって深く絶望していた。ある日、彼はカードローンに苦しむ女性・沙希と出逢う。彼女はこれまでどんな女も受け容れることのなかった高村を、温かく包み込み許してくれるただ一人の人間だった。ところが、多重債務を抱えていた沙希は突如として失踪してしまう。沙希の身を案じその行方を追い求める高村の前に次々と驚愕の真実が浮かび上がる。五年前の殺人事件、恐喝、姿なき脅迫者……。冷酷な真実の前に高村が選んだ決断とは?


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